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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2014/09/03 21:55:35

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    苦と苦の間に

    生きるって、どういうことなんだろうかね。
    今日はこうしてこの時を迎えることができた。
    今朝は、本当に久しぶりに走っていた。
    走ってみと分かったことは、とにかく走れなくなってしまったことだった。
    どうしたクマさん。
    そんな自分と驚きと落胆の中で出会っている。

    「クマさん、人生には上り坂と下り坂だけじゃないんよ。」
    「まさかという坂があるからね。」
    山賊会のNさんの言葉だった。
    そうだよなぁ。私は、まさに「まさか」だけの人生であったかもしれないと、
    今は自分自身を振り返ってつくづく感じている。

    しかし、まさかであろうとも、その道を生きて行かねばならないんだ。
    本当に心も体も弱ってしまったものだと自覚している。
    でも、生きて行かねばならないんだなぁ。
    それが私の人生なのかと、ある意味諦めている。

    突っ走って想いと願いとは遂げてきたかもしれない。
    しかし、「あっちこっち 命懸け」 by安吾 ではないけど、
    我執の中で結構この命をすり減らしてきたのかもしれない。
    穏便に、安逸に、常識の中で、世の中に合わせ、決して自分を出さず、
    人の言うことを聴きながら、そんなもんだと生きてはいられなかった。
    それもまた、一つの生き方なのかも知れない。

    無頼とは、悲惨な弧である。
    しかし、その孤独からしか体感できない真実はあるのかも知れないとも想っている。
    あれを切り、これと離れ、孤なる道を歩むことは、
    こんなにも辛いことだったのかと、改めて想った。

    しかし、人は環境の中で、体感しながら初めて自分の立ち位置に気付くものだ。
    そのどうあろうとも生かされている環境とは、
    自分が選んだものではなくとも、自分に与えられたものだった。
    それでは、そう歩まねばならなくなった自分とは、
    いったいいかなる存在なのであろうか。

    ほんの束の間、この世に生を受けた、この自分とは、
    いったいに何者であるのだろうか。

    だから、じっと向き合わねばならないのだと想う。
    こんなにも愚かで、迷いだらけで、迷惑ばかりかける存在としての自分を、
    やっぱり突き放さず、失望をしないで、「おい、くまさん」と、
    も一度呼びかける必要があるのではないだろうか。

    生きるとは、迷うことの連続であるのだと想う。
    でも、シッダルタが明らかにしたように、
    人生とは、苦なのだ。
    誤魔化してはいけない。しっかりと、真実の姿を見つめなくてはいけない。
    やっぱり、苦なんだ。
    でも、でも、でもね。
    その苦なる人生を弧として生きている私には、
    時々、優しさと出会うことがあるんだなぁ。

    「飲みませんか。」
    「どうしていますか。」
    「心配しています。」

    悲しみの傍らに立てる人こそ、優しい人だとやっぱり想う。
    その人こそ、生きることは、孤独であり、苦に満ちていて、辛いんだなぁと、
    そう体感を通して想っている人に違いなかった。

    弧と弧の間に。
    苦と苦の間に。
    その間にしか、愛は存在しないのかもしれないと、やっぱり想う。

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