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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2014年10月13日 10時12分21秒

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    所作をただす

    この親父たちよにかっては200万人のアクセスだった。
    今は、まったく閑古鳥が鳴いている状況らしい。
    反応が何もないまま、今も勝手なことをここに綴っている。
    徒然なるままに、クマさん版の「徒然草」である。

    ただ、ここに書いているのは、自分に対しての語りでもあった。
    いつも思うが。ほんものの自分がそこに居るなら、その声を聴きたいと。
    語り始めるのは、このどうしょうもないクマだけど、
    語り続けるうちに、自分でも発見することが多い。

    不思議な感覚なんだが、どこかで深い深いに沈み込み、
    そこで静かに語られている言葉を、私が代弁するようなんだ。
    そこに、本来の「語る」という意味が存在するらしい。

    所作を正す。
    ふと茶碗を洗いながら、そんなことを考えていた。
    この食べ終わった茶碗や食器は、
    テーブルの上にそのままでもいいではないかと想う。
    でも、食べ終わったらすぐに片づけて、食器を洗う。
    テーブルを拭く。
    洗濯物がまだたたんでいなかったら、それをすぐにたたむ。
    そして、しまう。
    何でもないただの日常の生活なのだが、
    それは、何だか私自身のまっすぐ生きるためのトレーニングのように感じている。

    朝、4時に起きることもそうだった。
    そんなに早く起きねばならない理由はどこにもなかった。
    疲れているのだから、もっと眠っていたらいいとも想う。
    でも、目覚ましよりも早く目を覚まし、朝の行動をすぐに起こす。
    食器を食器棚に片づける。
    お湯を沸かす。
    新聞を開く。コーヒーを飲む。
    親父たちよを書く。走りに出かける。

    そうした一連の所作をすることで、何か自分の中で正されるものがあった。
    だから、二日酔いはしない。寝坊もしない。
    そして、一日の中で静かに、落ち着いた心のままに、
    こうして自分と向き合う時間がとても大事な時間に思われる。

    何も予定のない休日は、つい最近までは苦痛だった。悲しく、哀れだった。
    だから、自転車を飛ばしてプチ放浪の旅に出た。
    自然の中に身を置いた。
    風に吹かれ、空を見上げながら、酒を飲んだ。
    独りだけど、独りだからの自由を感じた。

    それも今でも大好きな時間だ。
    そして、こうして本当に何もすることがなく、
    ぼんやりと本でも読むかという空いた時間が、
    なんだか愛おしく感じられる年になったようだ。

    ただし、やっぱり生活に必要な所作や処理を終えた部屋でだ。

    朝食の小さな皿の片隅に、白菜漬けの小さな断片がのっかっていた。
    「ああ、私だなぁ」と想い、箸でつまんで口に入れた。
    味がした。確かに白菜の味だった。
    味噌汁の具の大根を噛みしめた。
    すると確かにこの大根の味がした。
    玉ねぎもまた然りだった。
    その野菜が生まれ、育ってきた風土と、
    その野菜を育ててきた人の想いと願いとがその味を生んでいる。

    素材そのものの味を味わうためには、
    急ぎの食事や、ながらの食事では絶対にだめだった。
    後から考えて、いったい何を食べたっけでは、
    その野菜の個性といのちとに申し訳がないではないか。

    ゆっくりと噛みしめ、この味と向かい合う気持ちがある時だけ、
    素材は素材本来の深く個性的で独自な味わいを感じさせてくれる。
    これも、食べるという所作から私が学んだことだった。

    話しながら食べてはいけない。のではない。
    会話は、やっぱり食事のご馳走だ。
    でも、そんな食事の時間の中で一時でも、
    素材のいのちと向き合い、語れあうことも大事なことだ。

    こうして言葉を綴っていると、私は私に気付かされる。
    そうか、私がやってきたこととは、そういう意味があったんだな。と。
    所作は、大事だ。
    何もすることのない時間も大事だ。
    素材と向き合い、味わって食べることも大事だ。
    独りになって、独りの自分に語らせ、独りの自分と対話することも大事だ。

    私たちは、あまりにも世の中とか常識とか世間体とかに縛られて、
    こうしてそこからは人里離れた生活の中で、
    静かに、黙って、落ち着いて生きる生活を忘れているのではないだろうか。

    「忙しい」とは、心が心で亡くなるということだ。心が死ぬのだ。
    「忘れる」とは、心の存在すら忘れ去り、心を死なせることのようだ。

    こうして、空いた時間をただよいながら生きていると、
    この刻々と移り変わり、去っていくひと時ひと時が、味わい深いものとなる。
    それは、まるで素材のいのちを味わうように、
    時間を時間として味わい、語り掛けることで、また小さな喜びと出会えるんだ。

    だから、こうして語り掛けることを続けるクマでもあった。

    語ることで、綴ることで、時間とともに深くに至れる。
    そんな一日の生活をしたいものだと、今も想う。

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