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from: クマドンさん
2014/12/03 06:03:21
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新潟ハムレット
轟々と風が鳴る。
さっきは雷が鳴っていた。
冬の嵐の到来だ。
やっぱり季節は自然のままにめぐっていた。
暗い話ばかり続いている。
それは、私の心がそうだから仕方ない。
今はそうやって何かに耐えて凌ぐ時節であるような気がする。
母の仏壇には、花を飾っている。
その花を絶やさないようにもしている。
そんな私ではなかったはずなのに、今はそうだ。
ジョグの途中に野草が咲いている。
その度にあの場所、この場所で、一本ずつ花をいただく。
それをウエストポーチに入れ、帰ったらコップの花瓶に入れる。
その花もじっとここに居てくれるが、時と共に弱ってもいく。
萎れてしまった花には申し訳ないが、去ってもらう。
全てのものは移ろっていく。
それはずっとそのままではなく、変化するものだ。
それが、自然のいのちのあるがままの姿なのだと花に教えられる。
父の認知症が少しずつ進行しているようだ。
食事の時、視線がうつろで、何を聞いても返事をしない。
ほんのすこしだけ口にすると、後は首を横に振るだけだ。
そのうちに、また立ち上がろうと動き出す。
私が危ないからと抑えると、力一杯に抵抗してくる。
情けないが、それが現実だ。
目の前で、日々枯れていくのは、花だけではない。
人もそうして枯れていく。
ただ、そのことを受け入れるだけだ。
そんな父の病院から帰ってきてから、夕食を食べる。
「大阪ハムレット」という映画を観た。
いかったなぁ。
子どもたちも、親たちも、みんな「生きるべきか、死ぬべきか」なんだなぁ。
その中で、自分と言う自分を貫く生き方こそ、
人としてこの世に生を受けた生者の生き方なんだと、感じた。
世の中や世間体は、何もしてはくれないものだ。
そのことが逆風になろうとも、そのことでドロップアウトしようとも、
その自分が自分であることの想いは、貫くことが大事なんだ。
そして、「問う」ことだ。
自分はいかにして自分の物語を生き抜くかを。
「問う」ことで、やっぱりいつかその「門」が開かれる。
ここであるが、あるがままの大いなる自分である自分が、
きっとその門が開かれたそこには生きているはずだった。
そのために、人が必要なことは「聴く」ことだった。
その微かなる語りかけを聴くための「耳」があるならば、
きっとこの主人公たちのように、
いのちが自分に与えてくれた道を歩けるのだと想った。
母は、母のいのちの物語を生きてきた。
父も、父のいのちの物語を生きている。
私は、やっぱりハムレットかもしれないが、いのちの物語を生きたいと願っている。
そして、母や父がそうであったように、
小さな花を咲かせ、散っていくのだろう。
だから、まず今日を生きることなんだ。
無心で生きられたら、もっといいのにと、煩悩の私はハムレットである。
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