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from: クマドンさん
2014/12/05 06:02:15
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苦悩が教えることとは
右ひじの痛みが続く。軽いものでも持ち上げると痛みが走る。
不自由なものだ。使えなくなるということは。
そのことをこの痛みで私に教えようとしているらしい。
奥歯がずきずきと疼き、噛めない状態だ。
痛みがあることで、奥歯はその存在を主張する。
歯槽膿漏が相当進行しているようだ。
早く治せということを教えようとしているらしい。
父が奇跡の回復に向かっている。
「今晩が・・・・」と、医師に言われた男だった。
私も妹も何があっても受け入れる覚悟をしていた。
それなのに、昨日の夕食に行ったら、点滴も外れていた。
普通の病人?と変わらない父の姿だった。
自然治癒力のすごさを、父からは教えられた。
独りで居ることが多くなった。
そんな時は、やっぱり独り言のようにして、自分と対話している。
その語り掛ける自分が、本来の真面目なのだろうと想いながら、
その本来の自分の問いに応えながら、言葉を探している。
独りとは、対話する時間だった。
その時間が生活の流れの中で失われている。
当たり前に疑問をもちつつ、その当り前ではない本当の何かを求めて、
その対話は続けられる。
独りであることは、いいことなんだ。
いのちが、私にいかに生きるかを問うていると、フランクルが語っている。
私には、そのいのちに対する誠実に、真摯に生きる責任と義務とがあるようだ。
昨日、中国の人の実話で感動的な話があった。
「ただ、毎日誠実に生きなさい。」その言葉だけを信じて生きた男の話だった。
「誠実に生きる」それはそれでとても難しい生き方だった。
しかし、そうでない生き方をした時の、その苦悩を知っている。
だから、例え困難な道であろうとも、その誠実な道を選んで生きることが、
やっぱりいのちが私に期待している生き方なのだと思っている。
苦悩も死も人生なんだと、フランクルは語っている。
そう想えば、それでいいんだと、安心できる。
苦悩は、私が私を学ぶための道場でもあった。
もし、このひじや奥歯の痛みが無かったら、
私は人生にとって大事な何かを学ぶ機会を失っていたかもしれない。
苦悩もありがたく、死すらもありがたい。
さてさて、こんな弱虫にそんな道を歩けるだろうか。
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