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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2014年12月08日 06時02分09秒

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    孤として生きる

    日々、淡々とあるがままの生活を続けている。
    やらねばならないことが、なくなっている。
    休日の予定が皆無な日だ。
    以前ならあれもこれもスケジュールがあったのだが、
    今は、エアーポケットのようなものだ。

    自分に向き合っている。
    自分と対話している。
    その分、そうした時間ができるようになった。
    それから、本を読み、映画を観る時間も増えている。

    「トニー滝谷」という映画を観た。
    人は、その人としてしか生きられない。
    人は、その人としての自分を好きになり、その人らしく生きるしかない。
    自分はやっぱりそうなのだから、そうなる自分を好きになる。
    人とは比べる必要もなく、人とは違うことが当たり前な自分でいい。

    それは、とても孤独なる存在としての自分である。
    しかし、そこに友が5人居たとしても、やっぱり孤独は同じではないだろうか。
    人は、人とは深く繋がれる。
    それはよく分かる。
    深く、ある人が言っている「生なる自身」にまで深く行くと、
    自分と人との隔たりが消えてしまう。
    その悲しみも、その弱さも、その孤独も同じなんだ。

    だから、そこで繋がれる人とだけは、生きられるのだと、私は想った。

    その孤なる自分の、孤なる意味を悟ることだ。

    弧であることの許しであり、
    そのことはこの世に生を与えてくれた天の眼差しだった。
    その意味においては、孤である人は一人も存在しないことになる。
    天とは、大いなる意志とは、繋がっているのだから。

    だから、人は、その人が歩くべき道を歩くことだ。
    そんなふうに自分に言い聞かせながら、生きている。

    個性的であるということは、やっぱり孤生的であることだった。
    しかし、その孤は、けっして孤ではない。
    それを信じなくては、あまりに寂しすぎて人は生きてはいけないと、私は想う。

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    waka

コメント: 全1件

from: wakaさん

2014年12月29日 12時37分43秒

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個性的であるということは、やっぱり孤生的であることだった・・・そうかも・・・。

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