新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2015年10月18日 10時07分33秒

    icon

    東区に歴史あり、物語あり

    東区の歴史探索に参加した。
    沼垂の柵のことがあり、
    牡丹山古墳のこともあり、
    とにかく行かねばと思っての参加だった。

    ここに今回新たに発見したことをいくつか書いてみる。
    松崎に北国街道が残されている。
    本当に細い道だが、曲がりくねったその道に往時のことが思い出された。
    「藤戸神社」の由来を聴いた。
    源平合戦とかかわる佐々木盛綱と関係がある神社だそうだ。
    ここの土俵では、かの大鵬も弟子を探しに来たそうだ。

    薬師如来が美しかった。
    越後の三大薬師の1つだそうだ。
    高森の薬師如来もその一つに数えられていて嬉しかった。
    名前の通りこの如来は、病気を治癒し、貧者を助ける菩薩様だそうだ。

    長者が甕を伏せた場所も知ることができた。
    今は畑になっているが、小林先生は何度かボーリング調査したそうだ。
    歴史の証拠を求めることは一つの浪漫だった、
    そこには物語が必ず存在する。
    私は、その物語と出会うことが好きなんだ。

    かすづか山と言うのだろうか、
    河渡のその地域に王五・王六・王七の長者伝説が残されていた。
    サケ漁の権利を持ち、その地域を支配する長者だったようだ。
    王瀬の長者の伝説は山ノ下にある。
    室町時代だろうか、とにかく栄えた村であったのではないかと推測される。

    牡丹山神社で発見された古墳は、400年代のものであるそうだ。
    その発見のきっかけは、ある学者がここで発見した一つの土器からだった。
    そして、ここを掘ってみたら、木棺を収めた場所であったことが判明した。
    それも、立派な円墳だったそうだ。
    まさに埋もれていた謎が、ここで解明されたということだった。
    その豪族は、大和朝廷ともつながりのある豪族だったそうだ。
    では、何のためにここに円墳を築いたのか。

    小林先生の仮説が面白かった。
    さすがに先生だ。
    浪漫があった。

    こうして考えると、今と言うこの時代は、
    ここで暮らしていた過去の先人たちの
    おかげさまで造られてきた時代であることが分かる。
    あの円墳の豪族と、私たちとは繋がっているのである。

    ここに紹介した場所や人や物や事柄には、
    やっぱり人間臭い物語があると私は思っている。
    その物語を発掘することが、私の役割ではないかと、
    そんなことを考えて、歴史探索の旅は終わった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    waka

コメント: 全0件