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  • from: クマドンさん

    2016年01月21日 10時40分07秒

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    お日様はいつもそこにいてくんなさる

    お日様がさしている。
    二日間の雪の中だった。
    灰色の雲と猛烈な風と雪。
    それなのに今日はこんなにも天気になっている。
    無常であることは、救いでもある。

    そのまんまではない。
    今はそうやって吹雪の中で耐えねばならなくとも、
    いつか風が変わり、雲が流れ、お日様も顔を出す。
    お日様もお月様も、どんなに荒れようがそこにいてくんなさるからだ。
    無常であっても、お日様とお月様はちゃんといてくんなさる。
    やっぱりそれを信じて生きることだなぁ。

    寂聴さんの本を読んでいる。
    学ぶことばかりだった。
    体験した人が語る言葉の深さと真実に、やっぱり心動かされる。

    仏様の教えって何だろう。
    ところが現代を生きる私たちは、そんなことを微塵も考えずに、
    その日その日を生きている。
    ほんの少し昔ならば、祖父や祖母にその教えが生き、
    その姿にそれが現れていた。
    今は、すっかりとその教えが見る影もなくなってしまった。

    「煩悩即菩薩」
    欲望の深いものこそ、菩薩になれる。
    ありがたい言葉だ。
    これならばどうにもならない私も救われる。

    「もうこりた」覚えておきたい仏の教え。
    漢字で書くと「忘己利他」と書く。
    菩薩の生き方とは、己を忘れて利他行に生きるそれだけだ。

    「にんにく」とは、「忍辱」と書く。
    どんな悲惨なことに会おうとも、
    どんな辛いことになろうとも、
    耐えて、忍んで、生き延びることが菩薩への道だ。

    このヘルニアのこぶを腹に抱えながら、ふと想うことがある。
    仏や神様からいただいたものしかないのではないかと。
    私があの日、死ななかったのも、
    震災にあって死ななかったのも、
    ここにこうして生かされていることも、
    みんなあちらから与えられ、赦されてあるからなんだと。

    「いのち」は、授かりものだ。
    私は、長男と次男とをそう信じて生きていた。
    それは、天からの「預かりもの」だった。
    ならば、私のこのちっぽけな「いのち」も、
    同じ預かりものではないだろうか。

    そのことを体験し、覚醒するために、病があり、痛みや苦しみがある。
    そうしないと、我欲の深い私が、己を捨てられないからだ。
    「身心脱落」を道元さんはこう言っているそうだった。
    「身」も「心」も生まれてから人が与えられたものである。
    その体(欲望)も心(煩悩)も脱落、なくなってしまえば、
    そこには「いのち」つまり、初めからある不生の仏性しか残らない。
    人が人の道を生きるのは、「不生の仏性」それだけでいい。

    この自覚から、「精進」を己にかして、日々あるがままに生きるだけ。

    日々自宅に籠る生活をし、孤独な自分と語りながら、
    だんだん分かってきたことは、そういうことだった。

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