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  • from: クマドンさん

    2016年02月11日 11時13分06秒

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    ヘルニアと自分

    やっぱり手術をしないとこのヘルニアは治らないそうだ。
    お腹の筋幕が裂けて破れているために、中から腹膜に包まれた腸が飛び出している。
    その大きさが拳骨二つ分くらいになっている。
    食事を食べた後は、それがもっと膨らみ、重く感じられるほどだ。
    日常生活にも支障があり、走ることも、トレーニングすることもままならない。
    激しい運動をすると、もっと裂けてしまうので、危険だとのこと。
    でも、先生、これってどうして起きてしまったのでしょうね・・・・。

    スーパーセントウです。
    そう言われて私はすぐには気付かなかった。
    「スーパー銭湯?」私は銭湯に行った記憶をたどってみた。
    よくよく聞きなおしてみると、「数パーセント」ということだった。
    そうか、数パーセントの確率で起きることなのか・・・・。

    前回の臨港病院での内視鏡手術の失敗も、数パーセントの確率だそうで、
    私は腹膜炎を起こし、死ぬほどの痛みを味わわされた。
    失敗しなければ、数日で退院できる簡単な手術のはずなのに、
    私は、こうして数か月間の期間休職し、ヘルニアを得た。
    これはよくあることです。数パーセントの確率です。
    そのことで、身体がおかしくなり、障害をかかえるようになっても、
    それは数パーセントの確率だからと、赦される・・・・。

    病院から歩いて帰りながら、やっぱり内心の動揺は否めなかった。
    「再度、せっかく治ったこのお腹を切らねばならない。」
    「今度は離れた筋肉を引き寄せて縫うために、痛みはひどくなる。」
    「また裂けないようにするために、3カ月以上は運動はできない。」
    そうだろうなぁ。このままではきっといつか裂けてしまうのだから・・・・。

    ただその事実をどう平静に受け入れるかだ。
    そのことをこのことで私という人間は試されているのだろう。

    我がままに、とにかくやりたいように突き進んできた。
    人からどう思われようとも、やりたいことを優先してきた。
    そのおかけで、できたことは多かった。ただ、それだけだった。
    今、思い返してみたら、本当に「だから何なのだ」だ。
    あれをやった。これをやった。だから何なのだ。本当にそれだけだ。

    では、これからもそんな生き方を続けて行くのか。
    そうではないよと、このヘルニアの身体が言っている。
    せっかく百パーセントの手術失敗と言う貴重な経験をしている今だった。
    ここから、何かをきっと私のような男に学ばせるために、
    きっとこんなことがここで起きたのだと、今は思っている。

    後悔は、全く意味のないことだ。
    悔やんだり、嘆いたりしても、何一つ微塵もこの現実は変わらない。
    そのリアルから、何を考え、何を選択して、どう生きるかだろう。
    ふらふらとぶれてしまう心には、惑わされてはならない。
    この心こそ、不確かなものはない。
    その頼りない心に任せてしまっては、私はこのヘルニアを抱えながら、
    半年以上も生きてはいけないと思う。

    だから、あるものはあると認める。
    次に、どうしてこうなったかをたどれば、自業自得であると分かる。
    私の不摂生な生活と、減量の失敗とが、あの胆石を生んでしまったのだから。
    そして、あのまま放置していたら、私は敗血症で命を落とす危険があったのだから。
    だから、どうしても内視鏡手術は必要なことだった。
    腹膜炎の激痛も、開腹手術の後の長い入院生活も、このヘルニアも、
    それはそれなりにたどれば、私自身に原因がある。

    さて、問題は、だから今日からどう生きるかということだろう。

    心とは、自分ではないと教えてもらった。
    それは、猿にも例えられるそうだ。
    この猿は、本当にままならず、自由気ままに遊び、暴れ、飛び跳ねる。
    その猿を追っかけて、翻弄されているのが私なんだ。
    心は、そうした自分とは違う存在していつもいつも動いている。
    だから、その動きを沈め、落ち着かせるためには、
    この心を縛る必要があると言う。

    自分は、ちゃんとどうすればよいのか分かっている。
    なのに、私は、この猿に振り回されて、不安になり、心配になり、あちこち彷徨う。
    そうした思い煩いによって、私は自分を見失い、弱い私となって生きる。
    自分で生きるか、弱い私で生きるか、その違いは大きな違いだった。
    だから、ここで本来の自分を信じて、自分のまま、
    そのままに生きる道を私は選択しなければならない。

    そうした生き方こそ、自分が求めている生き方なのだから、
    もう一度その生まれる前の自分に還ることが、
    今、ここに生きている私の生き方の意味だった。

    そんな自分に気付くための、ヘルニアだった。
    実は、このヘルニアのおかげで、きっと私は心穏やかな生活になれる。
    だから、そのために「無常・苦・無我」として、
    まわりの全てや私に起きる全てのことを見直して、
    自分で生きるための修業をしなければならないと、やっと気付いた。

    これから半年以上、自分が自分で生きられるかどうか。
    実は、問われているのは、そんな私の生き方そのものだと、やっと分かった。

    心は、縛ろう。
    自分は、自分で生きよう。

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