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  • from: クマドンさん

    2016年04月21日 05時46分38秒

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    分相応な生き方を

    58歳にして想うことは、自分とは本当にたいしたことないものだということ。
    何かを悟ったわけでなく、何かが分かったわけでなく、
    こんなものなのかと、ただ毎日を楽しく生きているだけの自分。

    あれもやろう。これもやろう。はなくなったなぁ。
    休日の予定はとにかく入れないと気が済まない私だが、
    よしっ、絶対にこれをやるぞと、情熱を傾けるものがなくなってしまったようだ。

    脱力したとでも言うのだろうか。
    それはそれで「まぁいいか」と、思って諦める。
    いつか何かがきっと向こうからやって来てくれるはずだと、
    「その日が来る」のをあんまり期待しないで待っていたりする。

    ヘルニアになってからは、そんな脱力感が加速した。
    この腸の飛び出たお腹では、無理ではないかと想うからだ。
    しかし、身体を少しずつ元のように作っていくと、
    ジョギングも自転車もできることが分かった。

    山に誘われている。
    連休中に大蔵岳から菅名岳への縦走をする。
    復帰してからの初めての山登りだ。
    いつものように重い荷をしよって登り、
    山頂でのクッキングは無理かもしれない。
    でも、やってみようと、お誘いを喜んで受けた。

    ふと想った。
    おとなしくなったなぁと、
    ちっちゃくなったなぁと、
    それはやっぱりこの年相応な生き方なのかと。

    あるがままにあるがままを学ぶ。

    自宅療養中は、起きることや歩くことすら大変な努力を要した。
    ならば、そこでそのままにできることをやればいい。
    ヘルニアで重い物を持ったり腹筋をきつくしたりすることができない。
    ならば、この身体でできることをやればいい。
    そこで、また池田晶子さんと出会い、散歩と出会い、庭の自然と出会った。

    そう想うと、年相応、身体相応に、やることは向こうからやって来ていた。
    そして、それ以上のことは欲なんだと、
    自制して、そこには行かず、そこには手をつけず、おとなしくしている。
    これって、よく考えたら、手術以前には考えられない生き方だった。

    こうして痛い痛い体験を通して学んだことは、「分相応な生き方」だった。
    それは、やりたくてもできないことは諦めるという生き方でもあった。
    「無理」はしないし、無理はできない。
    今、ここ、これだけを楽しんで生きる。

    そう考えたら、58歳になった意味があった気もする。
    「生きてみないと分からないものですね。」
    確かにそうだった。

    しかし、この「分」という言葉の意味はいったい何だろう。
    「分相応」の「分」を知りたいと、今、何となく気付いてしまった。

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