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  • from: クマドンさん

    2016年04月25日 05時46分44秒

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    それはきっとあるよ

    さて、説明することは、もういいような気がする。
    今、ここで感じることや、ここでの流れを感じることで、
    私は、心静かな喜びを感じる。そだけでいい。

    花を植えた後、いつまでも飽くことなく庭に居る。
    このただ居ることの幸福感と充実感。
    何もしていないと、人には見えるだろうが、
    その何もしていないということに、至福を感ずる私。
    それは、山に登ろうとする人と、山に居るだけでいいという人との違いだろう。

    それでは、その想いをどうやって表現し、人に伝えていくのか。
    まず、こうして感ずることが先だろう。
    「ああ、そうか」「そうだったなぁ」「それ、それ、」
    そうした何とも言えぬ実感があると、きっとそこから言葉は生まれる。
    きっと俳句って、その「あっ、そうか」で生まれる言葉なんだろう。
    私は、それを信じたくなっている。

    どうでもいいではなくて、それでいい、かな。
    生きている私には、死は存在しない。
    死んだ私には、生きているは存在しない。
    誰もまだ死を見たことがない。
    今、ここ、は、生きている時間だ。

    また、夜が明けようとしている。
    ここから大山台の展望台とそれよりも高くそびえるポプラが4本見える。
    雀が朝の訪れを喜んでいる。
    繰り返すって素晴らしいことですね。
    昨日のSさんとの一時間半の電話は、またまた私を私の原点に戻してくれた。

    耕すことの喜びを、Sさんは語ってくれた。
    森ではなく、こうして汗を流して耕すことに、生きる喜びがあるんだなぁだ。
    それは、自然と一体となる人の生業。
    生きることと耕すことや育てることが一つとなっている生き方。
    何だかとても懐かしさを感じ、憧れる。
    鍬で土を耕し、掘り起こすと、ぷーんと土の匂いがするものだ。
    それは、いのちの始まりの匂いでもあった。

    震災の話になった。
    小千谷の在る山の集落では、中越地震で大きな被害を受けて、
    全村で避難した経験がある。
    そこで、その人たちは生き死にについて考えた。
    そして、改めてその山の棚田や畑で毎年繰り返してきた生業が尊く、ありがたく、
    今日、今を、そうして家族と一緒に生きていたあの生活が、懐かしく、愛おしく、
    当たり前の毎日が、そんなに大切な時間であったことを、悟った。

    当たり前は、実は希なことだったんだ。
    それから力を合わせ、全村での帰村を果たした。
    そして、毎年各家々がお金を出し合って積み立てを始めた。
    それは、中越地震で被災したこの村の人たちは、
    全国からの義援金や食料や物資によって救われたからだ。
    その恩を返すために、基金をつくり、
    実際に災害に遭った地域へ義援金として何度もその浄財を送っていた。

    でも、そのことは村の人たちだけが知っているだけ。
    当たり前のことは、わざわざ人には言う必要がないそうだ。

    災害を受けた人たちは、生き死にと出会うことになる。
    そして、いかに生きるかの問いを、どうしても持たざるを得なくなる。
    そして、はっと気づく。
    日々、淡々と、平凡に、何事もなく繰り返されていたその日常こそ、
    幸いな場所だったと。
    そのことに流れに流されたままで生きている間には気づかない。
    あれも、これもと思っていて、不満を持って生きている間は気付かない。

    足るを知るか・・・・・。

    私は、自分の突然の身体の災害によって、そのことに気付かせられた。
    はっと、想った。
    何だか本当に生き直せるならば、生き直したいとも想った。
    でも、こういう形でしか、天は私に気付かせられないと決めたのだろう。
    その意のままに、どん底に叩き落された。
    それでも、それなのに、今、ここで夜明けを迎えようとしている私。

    花と向き合っている時間の幸福感。
    毎朝、こうして夜明けを迎えられる私。
    土を耕し、始めることの喜びを感じているSさん。
    震災に遭いながら復興を通して、生き直しをしてきた村の人たち。
    そして、身体の震災によってヘルニアを抱えながらも、今日を生きられる私。

    そのことは、きっとみんな同じなんだと、私が言っても、
    分かってはもらえないだろうなぁとも想っている。
    でも、Sさんとは、そんな話が「そうだね。そうなんだ」で感じ合えるし、
    私の話は、Sさんの話でもあるような、
    別々ではなくて同一であるような、そんな共生感・一体感の話。

    やっぱり説明は無理なので、ここら辺で話をやめよう。

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