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  • from: クマドンさん

    2016年05月21日 05時35分50秒

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    期待通りには行かぬもの

    7月に手術を決めてから、毎日が死に向かってあるような心境だ。
    その覚悟はしている。
    またあの術後の激痛と不眠と苦しみとは仕方ないだろう。
    ただし、生還したらだ。
    2回の手術で2回とも失敗している私。
    私は、人のやることは失敗があるものだと、そこから教えられた。
    一度切ったものが全く元には戻るわけはない。
    きっと手術の同意書には、死亡することもありますという一文が書いてあるだろう。
    私は、それに同意して印鑑を押す。
    全身麻酔で眠ったまま、この世から消えてしまうこともある。

    人生、何が起こるか分からない。
    例え、私が息を引き取っても想定内でしたと、医師は絶対に責任は取らないだろう。
    臨港病院は、私をこんな身体にしても、入院費は取っている。
    せめて、手術ぐらいちゃんとできる医師を育てて欲しい。
    そして、失敗したなら謝罪する誠意を見せて欲しい。
    私が死にそうになったら手を離し、新大に丸投げだった。
    こんな病院があるから、私は手術を信用していない。

    それでも、手術を受けねばならない私が哀しいものだ。

    ということで、ある意味私の余命は後2カ月。
    2か月後の今頃は、丁度痛みに呻いているか、お亡くなりになっているかだ。
    だから、ちょっと贅沢なご褒美と、昨夜はコンサートに行って来た。
    西本智美だった。
    オケは、モンテカルロ交響楽団。
    そして、メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。

    この曲で泣けなかったことが、何とも哀しいことだった。
    音はある。曲は流れている。それは確かに音楽なのだが、音でしかなかった。
    深くから響く音は、私の深くが必ず共鳴して震えるものだ。
    じーんと震えて、そのまま忘我の境地に至る。
    涙が溢れ、恍惚なる歓喜が内から湧いて出る。
    その感動を味わいたくて、高いお金を払ってここに居る。

    二階のS席はがらがらの状態だった。
    こんなに入らないコンサートは、かってあっただろうかと驚きだった。
    しかし、カルメン組曲が鳴りだしてから、そのお客の少なさが分かった気がした。
    J2・J3なのだ。
    ホルンや、クラリネットにきらりとしたソリストはいたが、
    それはちゃんと曲にはなっていたが、いっこうに私の魂に響いてこないのだ。
    「うん?」こんなこともかってないことだった。

    ヨーロッパのオケの音ではなかった。
    それは、日本のアマチュアのオケの音ではないだろうか。
    実に日本的なカルメンであり、モルダウであり、悲愴だった。
    オケにはそのオケに沁みている伝統の音があるものだ。
    それは、そのオケらしさの存在感として聴く者には伝わって来る。
    その深い深い個性がこのオケにはないような気がした。

    いかに名指揮者であろうとも、オケとの一体感が感じられず、
    音楽を通して伝えたいパッションがどうしても伝わってこないのだ。
    感動のない音楽は、感動のない演奏者から生まれる。
    プロがプロの技としてそつなく、いつものように、ちゃちゃとやる。
    終わったら今夜のディナーは何にしようかなぁ。
    ここからは、奇跡の音楽は期待できない。
    そうした予想が立ったので、聴く耳のある人たちは、
    きっとチケットを買わなかったのだろう。

    私は、西本さんに会いたくて、その指揮を観たくて、
    マーラーの5番だと勘違いして、高い高いチケットを買ってしまった。
    そして、聴いたのがプロがプロとしてそつなく消化する演奏だった。
    名指揮者は、名演奏家があっての名指揮者なのだ。

    それでも私は、やっぱり手術を受けねばならないし、
    次のコンサートには、名演奏を期待してりゅうとに行く。

    私が変わったのは、そんな諦めを持ちながらも、
    そうなった結果に怒りを感ずることなく、
    ただ淡々と受け入れられるようになったことだった。
    「こんなこともあるよ」と、その一言でそこから抜け出せるようになったこと。
    これは、私のような短気でどうにもならない男には大きな変化だ。

    手術は、失敗することもある。
    名指揮者でもこけることはある。

    案外人生とは、そんな修羅場と失望を体験しながら、
    「これでいいのだ」を学ぶ場であるのではないかと、
    想えるようになってきた。

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