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  • from: クマドンさん

    2016年05月25日 05時48分26秒

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    どん底からしか学べない

    さてさて、体力が落ちて愕然としている。
    月曜日に走ったが、ロングの途中で歩きに変えた。
    昨日は何カ月ぶりに職場まで12キロの自転車だった。
    暑さのせいもあるが、フラフラになって帰って来た。
    七時に夕食を食べ、菊水一番搾りを飲んだら、やっぱり庭で爆睡だった。
    自分のそんな身体の弱さを素直に受け入れた。
    八時には寝ることにして布団に入った。

    S叔母が施設から外泊で帰って来た。
    叔母はそんな日には、私にT叔母の家に来てほしいと言っていた。
    日曜日の夕方、私が行くと、K叔母を交えて三人での夕食の最中だった。
    私はそのテーブルの席に座り、お相伴にあずかった。

    S叔母は、愚痴の人となっていた。
    「家に帰りたい」「ここでまた生活したい」「手も足も元に戻りたい」
    しかし、現状では全くできないことばかりだった。
    出来ないことを、叔母は一番よく分かっていた。
    だから、できない苛立ちを妹であるT叔母にぶっつける。
    S叔母のために献身的に働いているT叔母は可哀想なものだった。
    彼女は、この冬、S叔母のことで暫く鬱になっていた。
    そのために、認知症も少し進んだ。

    人生を独りで生きたS叔母は、我儘で頑固な面がある。
    ただし、叔母はいつもいつも私たち家族のことを心配してくれ、
    言葉をかけたり、よくしてくれたりした。
    私はこの年になっても、少ない叔母の年金から小遣いをもらった。
    彼女はそうしてたくさんの種を撒いて来た。
    今、この人生の末期になって、その収穫をしている。
    そんな優しさと暖かさのある叔母でもあった。

    なのにやっぱり、自分を襲ったその運命を受け入れられない。
    あれだけ信心深かった彼女が、お祈りをしていないそうだ。
    私は、叔母たちに私の腹を見せた。
    縦に真一文字に傷跡があり、管の穴が十か所近くある。
    何とも悲惨な哀れな腹だ。
    それでも、また七月にはこの腹をかっさばかなければならない。
    何という震災。何という過酷な運命だろう。

    「死にたいて」と、つぶやく叔母。
    叔母は身体のどこも悪くなく、健康そのものだ。
    左手と左足は麻痺して効かなくなっているが、身体のどこにも手術の跡はない。
    ずたずたの私の腹を見て、叔母は声を失った。
    きっと温泉などで初めてこの腹を見た人は、眼をそむけることだろう。
    「S叔母ちゃん。俺はこんな身体でも生きようと思ってまた手術するよ」
    いかに人は、与えられた運命を受け入れらるかなのである。

    私だってそうだった。どれだけ恨み、嘆き、呻いたことか。
    しかし、いくらそうしたところで、現実は何も変わらないということに気付いた。
    それから、この運命の意味を考えた。
    これはきっと神様からのメッセージであるに違いないと。
    そして、私はそれまで見えなかった人たちの存在を知った。
    病気の人。孤独な人。障害のある人。死にそうな人。年老いて弱っている人。
    私には見えなかったけれど、病院のベッドで気付いたことはその人たちのことだった。

    「私だけではない」
    そして、私は、ぶっつぶされた。
    「私なんか、どうでもいかったんだ」と。
    潰されて潰されて、ずいぶんとちっぽけになったものだ。
    「死んだ人のように生きればいいんだ」とは、私の気付きの1つだった。
    「今日一日だけ生きればいいんだ」と、一日だけを生きている。
    だから、明日のことを考えたり、悩んだりしない。
    でも、ついつい考え悩んでしまうが。

    「あるものを数える」
    「常に感謝して、ありがとうと言う」
    「当たり前がとってもありがたいことなんだ」

    私が自らの体験を通して学んだ言葉を、叔母には語った。
    その内に何だか叔母の哀しそうな眼差しを見て、涙が溢れて止まらなくなった。
    ビールの酔いが回ったせいだろう。
    「ああ、感じて、こうして涙を流す私がいるなぁ」

    あの日、突然の震災で私はどん底に落とされた。
    そして、そこでしか見えないもの、感じられないものと、出会えた。
    私は、生還した。
    だから、叔母にはそうやって真剣に語れた。
    深く深くの言葉は、深く深くを体験した人にしか語れない言葉。
    その言葉を分かり、語っている私。

    神様のメッセージとは、このことだったのではないかと、語りながら私は思った。

    私は、叔母にもこの体験を通して悟って欲しいと願っている。
    生涯を独りで生きた叔母のことを、一番心配しているのは、
    亡くなった叔母の母であり、父であり、戦病死した兄だろう。
    毎朝四時起きで1㌔の道程を歩いて、地蔵にお参りに行った叔母。
    自分のことより、親戚の家族一人一人のことを祈っていた叔母。
    一番愛され、守られているのは実は叔母ではないだろうか。

    そのことを、叔母には悟ってもらいたい。
    だから、これがある。
    神様は、試練を通してしか、私たちに本当の深い言葉を与えない。

    私は、ヨブ記のヨブだった。
    神様は、全てを与え、全てを奪う。主の御名は褒むべきかな。

    叔母はこの朝を、施設のベッドで何を想い、生きているだろうか。

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