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親父たちよ

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from: クマドンさん

2016年07月12日 06時47分12秒

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走った

ジョグをして来た。またこうして走れる日が来るのだろうか。人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。長男に庭の水やりのことを伝えた。次男

ジョグをして来た。
またこうして走れる日が来るのだろうか。
人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。
長男に庭の水やりのことを伝えた。
次男には、頼むとただそれだけだった。
我が家のことは、この二人が何とか守ってくれることだろう。

長男と次男とに小遣いをやった。
これも生きているからできること。
昨日、身辺整理に半日を過ごした。
机の中のがらくたを整理していたら、3万円が封筒から出て来た。
天からの贈り物。
それは、私から長男・次男へと送りものだ。

こうして腹を抱えて走ることも、これが最期となる。
手術すれば、このヘルニアは一時的には引っ込むはずだ。
よくまあ腹の皮一枚で生きている者だと呆れてしまう。

お地蔵様にお願いをした。
いつも人生の岐路には、このお地蔵さんが黙って眼を閉じて立っている。
「それでいい」としか、言わない。
私は、ご縁をいただいた。
そのお地蔵さんとの出会いで、あの母の死を乗り切ることができたものだ。
今は、私の手術である。

ただ祈る。ただ祈る。
人に出来ることはそれだけだった。
それにしても走れなくなっている。
また走れるのはいつなのか、
ふと自転車に乗っている叔父さんが、
ゴミ捨てのために歩いている叔母さんが、
羨ましく感じた。

何事もない平穏無事こそ、ありがたい一日なんだなぁ。

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from: せみさん

2016年07月24日 07時07分21秒

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身体という、自然


「入院生活ももう少しで二週間目2に入ろうとしている。手術してから9日目、あれだけ腹をあちらこちらと切って縫ったのに、こうしていても痛みを感じないことの不思議さだ。再生する力。甦る力。それは生物としてのこの身体には、本来備わっている力だった。普段の生活では気づくことのないこの力は、艱難にあい、確かに感じられる力だった。

それは、あるのに「ない力」だった。いざというときに、私と言う身体を生かすために、スイッチが入り、活性される力だった。必要でない時は、眠っているだけで、「ない力」ではなかった。

痛みもそうだった。切腹しても普段と変わらない生活ができるのは、痛みのコントロールがうまくいったおかげさまだ。看護師さんにどうして痛みは鎮まるのかを聞いてみた。細胞には痛みを脳に感じさせる物質があり、その細胞が死滅する危機に会うと、細胞がその物質を神経に放出し、脳がそれをキャッチする。だから、その物質の働きを抑制する薬を入れることで痛みは緩和されるとのこと。

同じ質問を医師にしてみた。それは、脳に痛みのサインを伝える神経があるので、麻酔薬によってピンポイントでその患部と繋がった神経の部分を麻痺させて、脳に痛みを感じさせないようにしているとのこと。

私は、この話を聴きながら、再生のこともそうだが、身体そのものが身体として生き延びるための精巧で緻密なシステムが、生まれながらに私たちには備わっていることを知り、なおさら、生きている私という存在が不思議な摂理で生かされている存在であることを感じていた。

私は、身体という自然に生きているのだ。自然は、私のこの身体なんだ。生きるためのシステムは、全ての生きるいのちたちには与えられている。それは、生物としては平等に恵まれた力だった。

目には見えず、音には聴こえず、触ることすらできないが、その尊い力は、すべてのいのちには与えられたリアルな存在である。

空即是色。なくても、それはここにある。だから、その身体を1つのブラネット。1つのネイチャーと考えて、自然環境と考えたら、何だか、生きるが見えてきた気がする。


身体は、自然そのものだ。そして、それは、変化し、循環する。時には、危機にひんするが、痛みに耐えつつ、再生の希望は捨てない。高熱を出しながら、全智全力を使い、全ての細胞がもてる力を出しきって、その危機と闘っている。


それは、人の意識や思いを超越した自然そのものの自由なる働きだった。すごいものだ。ここで、私があの一本の樹、一本の花、一本の草と同じになる。

ああ、私は樹であり、花であり、草でもあるのだ。ならば、だれに生き方を問えばよいだろうか。答えは明らかだ。自然のことは、自然に聴こう。

こんなに身近に自然はあるのだ。どうしてそれを忘れたまま私たちは生きられるのだろうか。

腹の傷は、私とは関係なく自然なままに治癒していっている。」

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