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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2016年07月31日 10時16分05秒

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    一時帰宅の朝

    これを、久しぶりに家で書いている。
    キーボードが使いづらい。
    3週間近くの不在は、こんなところにも影響が出ている。
    お腹からの血の混じった体液は、まだガーゼをたっぷり濡らしている。
    この体液が止まらない限り、退院はないようだ。
    これもまた身体任せのこととなった。
    私が想って、願って、できることは少ないものだ。
    身体は、自然のままに、自然らしく、私と関係なく着実に生きている。

    庭の花たちは、私のほんの短い帰還を喜んで迎えてくれた。
    Hさんが教えてくれたように、確かにこの庭の花たちの想いを、
    私は久しぶりの再会で感ずることが出来た。
    「待っていてもらってた」という、何だか不思議な安心感だった。
    重い物をもったり、階段を上り下りしたり、激しい運動をしたりしてはいけなかった。
    せっかく繋がろうとしている腹筋が、また離れてしまうからだ。
    一度全く離れ離れになってしまった筋肉同士が、
    いま私が眠っていたり、何も意識したりしない間でも、
    もくもくともぞもぞと、くっつこうと働いている。
    くっつくということは、一つになるということだ。
    そんな謎のようなことが、私の身体では刻々と進められている。

    自然とは、偉大な謎だと、私は想う。
    だから、その自然のリアルに対して、敬意をもち、感動をもち、畏れをもつ。
    そうやって自然に向かう時、自然はちゃんと本来のあるがままで応えてくれる。
    身体は、身体そのものが生き抜くために、日々刻々と死滅し蘇生を繰り返している。
    身体がここにあり続けるのだが、それはどれだけのものが死滅し、再生させられた、
    その結果がこの身体と言う総体になっている。
    変わっても、移り変わっても、ここに私は存在している。
    それが、やっぱり、すごいことだと感心している。

    鳥に倒されて折れていた向日葵を、また私は土に差した。
    すると、今では他の向日葵と変わらず、逞しく育っている。
    鳥たちについばまれ、虫食いのような向日葵の葉っぱも、元気に大きく茂っている。
    位置を変えるために一度抜いて違う場所に植え替えたクヌギの幼木が、
    植えたその週にすっかり枯れて葉を落とした。
    幹までも水気を失い、すっかり乾燥してしまったので、
    私は、「ごめんなさい」と、申し訳なく謝った。
    すると、昨日見たら、小さな小さな緑の葉をつけ、
    茎も緑色にうっすらと再生していた。
    根っこがしっかりと生きていたのだろう。

    自然が生きるとは、まったとこういうことなんだ。
    自然である私にも、その自然の生きるの力は備わっている。
    日々刻々とこの私の身体の再生を通して、リアルにその力を感じている。

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コメント: 全6件

from: せみさん

2016年08月05日 06時59分59秒

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「とうとうこの朝の景色とも今日でお別れとなった。退院だ。7月12日入院、14日手術。それから三週間で今日を迎えた。

しゃばとは違う病院での生活は、私に多くのことを学ばせてくれた。Sさんが言うように「痛み」「痛覚」からの学びだった。

これは体験した人にしか分からない痛みでもあった。腹を2回切った私は、同じ手術をした人とは、何も語らなくとも分かり合えた。

これは、かの痛覚を体験する前には絶対に分からない感覚だ。以前もこれから手術する人に私も励ましの言葉をかけた。そうしか言えないからだ。しかし、今は「そうですね。大変だね」と、素直に言える気がする。「私は2回も腹を切りましたよ」それだけで、ほんの少しその人の気持ちが楽になるようだと思う

病院で1ヶ月も暮らすと、ここが自分の生活の場となる。しゃばならばできることを、ここでは制限された生活だった。歩くのは病棟の中だけ。食事は病院食で。酒は御法度。外出も医師の許可だった。海に山に温泉に…とは夢の話だった。こうして病衣を着て、朝のコーヒーを飲んでいる。

しかし、そのおかげで分かったことがある。それはこうした生活を何ヵ月、何年間も送っている人が居ることや、癌や不治の難病でいつ果てることのない闘病生活を送っている人や、今朝、この朝の光の中で息を引き取る人が居ることを。

私のようにいつ何時、病人になってしまうのか、誰にも分からないということも分かったことの1つだ。健康と病とは同時に存在し裏表であること。「まさか」のことは誰の身体にも起きること。そう想うと、病院の建物を見るたびに、病室で生活する患者さんたちが見える気がする。

私は、今日退院するが、同室の3人は、数週間後の手術の日を待ち、その後数ヵ月の療養をここで行う。そうして、生きている人がここに居る。それは私の明日の姿なのだと、忘れない。

老いと死についても考えた。老いは生きている私たちのリアルな自然だ。誰も老いない人は居ない。ただ、それと向き合わず、考えない人は居る。でも、リアルに老いは日々刻々と進行していく。老いは衰えである。身体の衰えは、病と繋がっているものだ。隠れておとなしかった癌が姿を表す。いつか人は、老いに気付き、死を迎えねばならない。

病気とはまさに、「いかに死ぬか」を私に問いかけ、だから、「いかに生きるのか」を問い直す機会となっている。

村上の友人が10年以上前に肺癌となり、手術を受けて生還したことがあった。私は大変だと思い、1日も早くの回復を願った。でも、今の私ならきっと違った受け止め方ができたと思う。

彼は、あれだけ拒否していたスポーツにのめり込み、マラソンや登山に汗する男に変身だった。それが彼の「いかに生きるか」の答えだと思っている。私は、そんな彼の生き方と人生は尊いものだと感じている。


実に、人はちっぽけで、弱く、儚い存在だった。ただし、その弱さと儚さとが分かり、だから、それでもどう生きるかと、生きるの原点からの問い直しをもって生き直す時、その弱く儚い存在が偉大で、たくましく、尊い存在に変化する。私は、そうした人を何人も知っている。


あの4回の手術のAさんもそうだった。あの達観した姿から私は人としての尊さと、威厳すら自然に感ずる。


だから、せっかく私も仲間入りをしたのだから、病の人へのシンパシーをいつも感じながら、微かでもその尊さを感じられる人として生きたいものだと、退院する朝に私は想っている。


同室の同士の人たちと、お世話になった医師と看護師さんたちとのお別れだ。しゃばに帰ったら、もう少しまっとうな人として、この道を歩きたいものだと願っている。」

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from: せみさん

2016年08月04日 18時29分15秒

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「Aさんの話の続き。彼に左手の指のことを聞いてみた。彼は仕事で電動丸ノコで製品をカットしているときに、誤ってスバッと全部の指をカットしてしまったそうだ。

すぐに病院に運ばれ、部下が切れた指を持って来たのだか、縫合ができなかったと言っていた。

処置で難しいことはなくなった指の切り口だった。そこに皮が張り、回復しない限り、細菌による汚染で感染し大変なことになってしまう。では、どうやってそこに皮膚を再生したのか。それは、信じられない話だった。

左脇腹を切って、そこに指のない手を突っ込んで蓋をする。つまり、腕を脇腹に突っ込んだまま、二週間待つのだそうだ。

すると、腹の中の細胞が自分の一部とその腕を認識し、その傷を修復しようと皮膚を再生するのだそうだ。

人間を細胞単位で考えると見事に生きるための再生の工場でもあるのだった。彼は言った。その医療は、自分が入院する二週間前から始まったものだそうだ。指が長く、しっかりとした皮膚で覆われているのは、二週間の命のマジックがあったからだった。それが、リアルな人の身体の力だった。

私もそうだ。一度繋がったお腹の筋肉の糸がするりとほどけ。離れ離れのヘルニアとなった。ところが今は、その離れの離れの筋肉をボンレスハムのようにしっかりといわいて、お互いをくっつけた。すると、しばらく別れ別れだった細胞同士が、「おおロミオ?」とばかりにくったき合うのだ。どうしてこんなことが起こるのだろうか。それも細胞レベルの不思議だった。

私は、次男の出産に立ち会った。彼が産道を通り、頭からこの世に出てきた瞬間。すでに彼は彼だった。人が人を産む。細胞レベルの話ではなく、個体としての人間が母親の子宮で発生し、生育し、完成される。何という不思議ではないだろうか。

人は、生きることは実にリアルな自然だった。失った指の傷も、離れ離れの筋肉も、次男坊も、ちゃんとしぜんに再生され、産まれて来るのだ。それが、私の身体のリアルな自然だ。


身体は生き延びようと総動員で必死に連携しながら努力している。手術の後に38度から39度の熱が数日続いた。闘ってくれている。傷を治そうと痛みの部分に全てを捧げての闘いだった。

ああ、私の身体は、生きようとしてくれる。私なんぞ、つまらぬ私には全く関せず、ただひたすら、生き抜くためのプログラム、摂理にのっとり、自らの意志で再生のブロセスを生きている。ああ、ありがたいな。嬉しいな。この自然なる働きがある限り、私は死ぬことはないだろう。


任せていけばいい。信じればいい。余計なことは考えないことだ。プログラムは生きようとしている。ならば、委ねて、信じて行けばいいんだな。


そんなことをSさんと電話で話した。

死ぬときは、この細胞たちがもうここまでと、ギブアップする時ですね。命も寿命も自然なものだ。だから、細胞の命としての時が来たら、アディオスと手を振って、笑って眠ればそれでいい。

この文は、「あき乃」で書いている。明日は、いよいよ退院だよ。」

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from: せみさん

2016年08月04日 18時26分17秒

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「一昨日この病室に来たAさんのお話だ。彼は82才だそうだ。ご家族と一緒に病室に来た時、白髪の息子さんが私と同年代だと感じた。しかし、彼は病気のことが心配なのか、家族が帰ると、ベッドに腰かけてテレビをぼんやりと見ている寡黙な老人だった。

どこかが傷んでいるから、ここに入院しているはずだ。しかし、お互いにその病気の話はなかなか遠慮して切り出せないものだった。私も向かいのベッドでありながら、話のきっかけがなく話しかけられずに三日目の夕方になった。

すると、隣のBさんが気さくに、「Aさんは、どこが悪くて入院でしたか」と聞いた。これでいいんだと、合点した。

Aさんは大腸癌だった。健診で腸のポリーブが見つかり、それを摘出する手術を受けるための入院だった。
彼は糖尿病もあるらしく、血糖値が200以上ありインシュリン注射が欠かせない。

彼の左手には指が無かった。仕事の事故で親指以外の四本を失っていた。それでもボーリングは県大会に出場する腕前であり、ゴルフも右手一本でフルスイングだそうだ。体力を維持するためのウォーキングを毎日続けているそうだ。一見すると70代の健康そうなスポーツマンだった。

緑内障の手術でこの病院に初めて入院した時、まだ昔の病棟だと話していた。次に白内障の手術をした。胃癌が見付かり大部分を摘出する大手術は、この新しくなった病棟に入院だったそうだ。

そして、その胃癌の定期診断で便に血が混じっていたことから、大腸癌が発見され、今回の入院となったそうだ。

それを元気な声で、笑顔であっさりと語ってくれた。まさに、お見それいたしあした。なのだった。

満身創痍。一週間後には、大腸癌の手術を受ける82才のAさんの人生を知り、何だか不思議な想いに私は、なった。

何を言ってんだクマさん。この人を見よだよ。「エッケ・ホモ」小さな偉人だね。この前向きな生き方の前に、「俺ばっかりどうして…」の孤独なる自分は不幸だ的な悩みが、いかにうすっべらで、取るに足りない、恥ずかしいものかがよく分かった。

ここまで身体の試練と苦しみとを与えられながらも、それを受け入れ、今を生きている彼の姿は、私たちが忘れていた生きるの大事な意味を黙って教えてくれる姿だった。


私だったらどうだろうか。それは、彼にも彼なりの失意と絶望はあったと思う。しかし、そんな過酷な運命の中でも、彼は彼を貫き、生き延びて今がある。


人はどんな運命や状況になったとしても、それを嘆くだけで終わらず、気持ちを切り替えて、その意味を問いながら、生き延びることが、本来の生きるの意味ではないかと、今回の入院を通して私は学んだ。


逃げない。嘆かない。人のせいにしない。誰も恨まない。そして、現実を無心に受け入れ観察をする。それでは、その課題を解決するためのベターな策は何かを考え、こうだと思ったら決断をして、実行する。


前向きに生きている人は、こうして日々を生活している人のようだ。身体に聴く。すると、若かりしときには気づかなかったいろいろな声が聴こえる。そしたら、無理をせずにその声に聴き従う。これも学んだ養生訓だった。


「エッケ・ホモ」と、人から言われる人に私も成りたいものだ。そのためには生き延びることだ。その時、フランクルの言う、感性と知恵と勇気と愛とを生きるの人となっていることだろう。

今朝もAさんはベッドに座り、独り考えているようだった。まだ暗いはずの5時だったが、何だか彼がほのぼのとした灯りに包まれているように感じて、手を合わせたくなってしまった。」

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from: せみさん

2016年08月04日 18時23分07秒

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「昨日「夏の庭」の文庫本を買った。驚いた。平積みになっていると思ったら、たった一冊の本だった。まるで私が買いに来ることが分かっていたようだった。

最近読んでいる本で禅のお坊さんが書いている本がある。「怒らない禅の作法」だった。腹が立ったら深呼吸。身体を使おう。早起きしよう。日頃の生活で私も実践していることも多かった。ところが、そんな私が怒ってしまった。一呼吸おいて気持ちを静めればよいのに、すぐに反応して怒りのメールを何通も送った。
今は、ただただ後悔している。ああ、悟りを開いて自分がどんどんなくなるなんてとんでもないことで、ほんのちょっとしたことで綻びが現れ、駄目な自分が露見する。情けない。申し訳ない。

だから、夕食後は誰とも話したくなく、カーテンを閉めて「夏の庭」を読んでいた。忘れるためだった。無心になるためだった。ちょうどおじいさんが戦争でジャングルをさ迷い、ある村で妊婦を射殺した話だった。彼は、このことで内地に帰っても新婚の妻のところに戻らず、世捨て人のような生活をした。

どうしてこうかのかなぁと、自分のことをどうにもならないと考えてしまうことがある。ただし、今は、そのことは昨日の出来事、昨日の私と今日には引きずらないことにしているが。

しかし、とかく正義の人は、人の失敗を忘れず、人の過ちを許せず、いつまでもいつまでも記憶に止めて、私のようないい加減な人を糾弾し、批判し、責めるものだった。

自分は正しい。あなたはおかしい。間違っている。その正義の前には言葉がなくなる。私は犯してしまった罪の前に全く無力な存在となるからだ。私は正しい。あなたは悪い。その通りだった。

正義の人は、1と2の生き方の人だった。どちらかが正しければ、どちらかが否定される。その中庸のいい加減な曖昧さがない。だから、すっぱりと断定できる。決めつけられる。

私は、0と1で生きていきたいと思っている。0から1までの間には無限があるからだ。それもあるし、これもあるね。それもいいし、これであってもいいかもね。そうだけれど、今は私はこう生きてみるね。

その私の選択した1は、私の1だ。これが絶対に正しいの1ではなく、これはあくまでも私の個別なる1なんだ。でも、その1が0から生まれた1でありたい。ただ、そんな1を求めている。ただそれだけ。その1も1でありながら、いつかは変化する1である。

1か2には生きるつもりはない。0から生まれた1で生きたい。ここに私の自由は在るような気がする。

あのおじいさんは、その0に気付いたのかもしれないな。子どもたちのおかげさまだった。

0があるから、気楽に生きられる。0は大事だ。そして、0がリアルな生き方を教えてくれる。

さて、「夏の庭」の後半を今日は読もうと思っている。どんな0が見つかるか楽しみだ。

本日も1日、0のまんまに生きたいものだ。やっと昨夜の苦さが薄らいできたようだ。」

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from: せみさん

2016年08月04日 18時20分35秒

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「今朝は、この食堂からいつもの粟ヶ岳が姿を見せない。弥彦山頂もガスの中だ。

偶然であることは必然である。

出会うことに自分なりの意味を見出だす。

山は見えなくとも、山はそこにある。表面的にとらえるだけでなく、立ち止まって目を凝らして見つめ、よく意味を考えることだ。

そうした生き方を、哲学とも言うらしい。ここに既にあるイデアを想起する。腑に落ちるとはその瞬間のことだった。

腹を切りに再び入院する時の私の願いは、12月にお世話になった看護師さんたちに再会することだった。

しかし、入院してみて驚いた。4月の院内の異動でチーム毎に入れ替わっていたからだ。私の憧れのMさんの姿はなかった。彼女に会うために、腹切りを決意したのに…。元気がすっかり無くなった。

ところが、手術直前に彼女の笑顔だった。握手で手術室に送られた。病室の位置が変わったら、何と彼女の担当する病室になっていた。
彼女がいなくなったと思ったのは、長い休みをとっていたからだった。

病室の隣のベッドのHさんは、私が高校時代から映画でお世話になったHさんの分家の人だった。そのHさんも腰の神経を痛めてT病院に入院中だ。知り合いの知り合いとして、何だか初日から話が弾んだ。

昨日の朝、テレビ番組表を見て、監督「相米慎二」の名前を発見した。私が大好きな監督だ。「夏の庭」?私の知らない作品だった。それでもやっぱりBSで観た。3人のやんちゃな小学生の男の子と世捨て人のように独りで生きるおじいさんの一夏の体験だった。三国連太郎が実に渋くていいんだなぁ。ラストは、恥ずかしいくらい涙が溢れた。病室で泣くのは、なかなか恥ずかしいものだ。

よかったなぁと感動の余韻にひたりながら、売店と書店によった。するとどうだろうか積まれてある文庫本の黄色い表紙に、「夏の庭」と書かれているではないか。この映画にも、この本にも、本日初めての出会いなのに、映画を見てすぐに原作本の登場だ。

私は、人生を必然と考えている。「なるようになっている」のだ。だから、今、ここに居ることも、私にとっては必然の意味があることだった。

私は、日々未知なる、初体験の必然を、わくわくしながら体験すればそれでいい。そう考えたら、やっぱり「これでいいのだ」と言えるのだ。

山は見えなくともずっとそこに在る。私の人生も私が気付かなくとめここに在り続けていてくれる。その人生が問うている。「私は、今日どう生きますか」と。」

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from: せみさん

2016年08月02日 04時53分34秒

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「土曜日は、本当は退院の予定だった。木曜日の突然の腹の激痛がなかったら…。それから、一旦止まっていた腹の体液がまたまたガーゼを溢れ出した。身体のことは、身体に聴いてください。私と身体はこうして互いに自立した存在として折り合いをつけて生きている。

土曜日の夕方お迎えに来てもらい、外泊だった。原信でうなぎを奮発して買った。一人辺り半匹は食べられる計算だ。

そして、準備万端テーブルにビールと一番搾りとえんがわの刺身と枝豆て、アルビの応援だった。亀田製菓のオレンジのユニフォームを着て気合い充分だったのに…。

どうしてこうまで期待を裏切り、不甲斐ない試合をするかね。シュートが1本もないんだな。果敢に大胆に攻めて欲しいのに、どうもうまく噛み合わない。だんだん応援する力も衰えて来た。先発メンバー、あれでいいのか、吉田さん。

徒労のまま、私はソファーで爆睡だった。これも私の預かり知らぬことだった。
金曜日に妻が車をぶつけられた。スーパーに入るために右折で止まっていたタクシーの後ろに停車していた軽自動車だった。

妻がその二台をよけて左から抜こうとしたら、突然軽自動車はウインカーも出さずに左に発進し、妻の車の右後方のドアに見事にぶつけたのだった。

何も後方確認をせず、発進して真横を通りすぎる妻の車にぶっつけた。

ところが、こいつはぜったいにごめんなさいを言わない人だった。「おい、ぶっけたんだから、ごめんなさいだよな」と言っても、「横を通り抜けたあんたが悪い。私は何も悪くはない」そうだ。

責任云々は素人の私には判断はつけられないが、ぶつけたのは明らかなんだから、そこはやっぱりごめんなさいだろうと、思ったが、頑として自分の正義を主張して埒があかない。

ああ、こいつ駄目だと、私は諦めた。日本人が「ごめんなさい」を言えなくなってしまったんだなぁ。あの事件の若者と同じだと感じた。明らかにぶつけておきながら、損になるから非を絶対に認めない。

私も何年か前に歩道を自転車で走っていて徐行で飛び出して来た自動車にぶつけられ、東港線の道路に飛ばされたことがあった。そのときのじいさんも、絶対に「ごめんなさい」は言わなかったし、未だに言われていない。

どうなったのだろうか。「ごめんなさい」を言うと、損をしたり、相手に訴えられると不利になるから、言わないようにしているのだろうか。

しかし、他山の石だ。私のことを振り返ればどうだろうか。すーと素直に「ごめんなさい」を言っているだろうか。

まず、「ごめんなさい」があれば、そこから険悪でこんちきしょうと思った気持ちもずいぶん和らぐものだ。相手から先に謝られると、「いや、こちらも不注意で」なんか言いながら、謝れるものだった。

「ごめんなさい」は、寛容な関係を作るための魔法の言葉だと肝に命じておきたい。

確かに私は、「ごめんなさい」が多い人生なのだから。」

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