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  • from: クマドンさん

    2016年09月25日 06時18分54秒

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    分からないことは、疲れることだ

    分からない映画を二本立て続けに観た。
    ある意味、とても苦痛でもあった。
    というか、その時間が私にとって意味をなさず、
    すぐに映画館から出たくなってしまった。

    まず、何を言いたいのかさっぱり分からない。
    そうなんだろうが、それがこうだと共感できない。
    一方的に語られるだけでは、気持ちと想いとが追い付かず、
    何だか私独りだけが置いていかれてしまったような錯覚を覚える。
    登場する人たちは、信念と信仰と尊敬とを確かに語っている。
    ただ、私にはそう想われないだけ、語られれば語られるほど違和感を感ずる。

    もう一本は、音の無い映画だった。
    音の無い音楽とは何なのだろう。
    それを感じたくてとてもとても楽しみにして行った映画だった。
    しかし、無音で始まった彼女、彼の踊りとパフォーマンスは、
    「分かれない」のもどかしさだった。
    きっと聾者の人たちには感じられただろう爽快感と高揚感とを、
    私はここでも置き去りにされたように感じられなかった。
    「分かろう」とするから、感じられなかったのだろうか。
    どんどんと表現が進む中、私は孤独で戸惑っていた。

    そのもののはきっとそこにはあるのだろう。
    語る人も表現する人たちも、
    きっとそのものを感じ、味わい、楽しみ、喜びをもって伝えているのだろう。
    しかし、私は、そのものの世界の外にぽつんと置かれた。
    観客のひとりにもなれないまま、どうしてよいのか分からずにそこに居た。

    ということなんだな。
    「分からない」まま、そこに居るということは。
    そこに居る間中、もっと分からないもどかしさと時間とが増えて行く。
    周りの人たちが感じ、感動すればするほど、
    私は、独りで置き去りにされたような孤独感と無力感と空しさとを感ずる。

    「疲れた」それが二本を観終わった本音だった。
    真実であり、善であり、美しいものに違いないのだろうが、
    そのことを感じられない私にとっては、
    苦しく、切ない時間だけに過ぎなかった。

    「感じられない」「分からない」とは、かくも切ないことだったんだなぁ。
    改めて教室で全く先生の言う言葉が分からなかった、
    あの高校時代の数学の時間を、思い出してしまったものだった。

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