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  • from: クマドンさん

    2016年09月28日 06時12分58秒

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    四つのお話し。その問うているものとは。

    さてさて、昨日考えたり気付いたことをここに羅列する。
    ただそれだけ。
    でも、やっぱり生きているということは、考えることだった。

    「寝た子を起こすな」と言われる。
    しかし、「寝たふりの子」ではないだろうか。
    やっぱり「寝たふり」ならば、起こしてあげることが親切だと私は想う。
    そのことを無いことにすることはできない。
    そうではなくて、そのことはここにあるよと指さして教え、
    みんなはこのことをどう思いますかと問いかけ、
    共に解決する答えを見つける道を歩むことだと、話を聴いて感じた。

    もう一つは、目覚めた人は、やっぱり歩き続ける人になることだ。
    誰かが目覚めることになっているのだから、
    その自覚をもったならば、人より三歩先を歩き、
    ある意味での内面の激しい闘いを闘い続けるということだ。
    世間は厳しく、冷たく、無責任で、批判的なものだ。
    でも、その世間という存在しないものの目を恐れていては何も変わらない。
    まずここから。
    Hさんの同和教育にはそんな真摯な生き方が感じられた。

    公害は人が起こすもの。
    それも、利益のために人のいのちをものともせずに。
    水俣病の原因が有機水銀にあると分かっても、それを認めない。それを流す。
    原因は新潟地震によって流れた農薬だと言う。
    裁判の判決すら、変えられてしまう。
    政・官・民の癒着と蒙昧、己の利益だけに汲々とする浅ましさ。
    それは、福島の原発にも、あの豊洲にもある。
    水俣病の発生と、多くの患者たちの姿は、
    公害とは何であり、誰が作り、どう隠蔽され、
    誰も責任をとらず、どう逃げ切り、ただ僅かばかりの賠償金で幕引きをする。
    そんな愚かなことが、未だにこの国では行われていることの実証だった。

    県民会館が満席だった。
    2階席の最後列まで観客で埋まった、埋まった。
    若いギャル。お母さん、お父さん。おじいちゃん、おばあちゃん、子どもたち。
    赤ちゃんを抱いたお母さんも立ったまま舞台に魅入っていた。
    笑った、笑った。
    「待ってました」の期待感で、館内はいっぱいだった。
    本当に椅子の三分の一に腰掛けて、身を乗り出して笑っている。
    拍手と歓声。
    新潟には、お笑いはありだと、何だか深く深くガッテンだった。
    「よしもと」にとっては、この地は、巨大なマーケットとなるだろう。
    何よりも本物の芸だった。
    中川家の漫才は王道を行った。
    笑うためにお金を払う。いいではないか。納得の一夜だった。

    下手な選手がいるチームは、どんな監督が来ても勝つことはできない。
    上手い選手がいるチームは、どんな監督が来ても勝つことはできる。
    試合をするのは、監督ではなく、選手だった。
    1対1の闘いで、その凌ぎあいで負けていたら、
    勝つわけがないことは、誰もが分かっている。
    試合中は、観客はその勝負の本質をちゃんと見抜いているものだ。
    だから声援を送る。歓喜したり、怒ったりする。
    分かっていないのは、ピッチを走っている選手だけだ。
    だから、監督が状況を判断して、的確なアドバイスを送る。
    しかし、そのことを選手が実現できなかったら
    、監督は居ても居なくても変わらない。

    私は、Y監督のことが好きだった。
    あの攻撃的で、前がかりのサッカーは、チームに新たな世界を与えてくれた。
    しかし、ここ残り四試合での、突然の交代だった。
    降格がかかっている絶対に落とせない試合が続く中で、
    監督を替えることで、フロントは一体何を期待しているのだろうか。
    フロントのこの態度に怒り心頭だった。
    本当にチームを愛しているなら、監督と運命を共にするだろう。
    自分たちが決めた監督とコーチだ。
    責任は、監督にはない。
    ここでも、豊洲と同じことが起こっている。

    監督にせめて3年間は与えて欲しかった。
    その時間しか、弱いチームを強くする道はないと思うからだ。
    どうしてこんなに安易などうしょうもない選択をフロントはするのか。
    大きな不信感とクエッションに、お笑いの帰りの車で包まれた。

    さてさて、この四つのお話しがどうつながるか、
    そのことを考え、問うてもらいたい。

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