新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2016年10月25日 06時13分37秒

    icon

    生き残った私は

    「死んだ人々は帰って来ない以上、生き残った人々は何をすればいいのか?」

    そんな言葉が、本に書いてあった。
    夜中の1時に目が覚めて眠れなくなった。
    ああ、いつものやつだなぁと、ふと感じた。
    あの病院の夜中の目覚めとは、ちょっと違った。
    不安と言うのだろうか、突然、あのいつものやつに襲われた。

    そのままにしないことにした。
    あまりくよくよと考えないことにした。
    「悩むな。考えろ」と、池田さんも言っている。
    さてどうしたものだろうかは、とても具体的な行動なんだと想う。

    まず、私の見方・感じ方・考え方を修正することだ。
    今、ここにある不安とは何か。
    それは、私が不安になれば解消される課題なのかと考える。
    それは、そうすればすぐに解決する課題でもあるかと考える。
    「否」だった。
    まず、その問題の本質を理解しよう。

    私が、変わることだった。
    それならばできるはずだ。
    私が、こんなどうしようもならない人だから、そうなった。
    でも、きっと私でなくても、そうなったかもしれない。
    ならば、まず、その気持ちに添って、その辛さを感じ、
    共に在ることが大事なことだ。
    懺悔は、その後でいい。

    「今、ここ」を、私がどう生きるかを、きっと試されているはずだ。
    人は、こうして試練に遭わなければ、その人本人とは出会えない宿命のようである。
    自分が、自分で、自分になるためには、
    どうにもならない自分と向き合い、その自分を捨てねばならないからだ。
    自分であることのこだわりを捨てる。
    自分なんてもう死んでしまったんだと感じる。
    もう、自分なんてどうでもいいと想う。
    しっかりと握っていた自分を放す。

    そこにしか、救いはなかった。

    問題は、彼の生き方なのだが、
    その問題の解決のためには、私が自分に死ぬことが大事だと感じた。
    もう、私のことはどうでもいい。
    そこからしか、その先には進めない。
    そんな極みに来ているのではないだろうか。

    私は、亡くなった父や母に守られて生きている。
    いや、臨港の叔母ちゃん、たっちゃん、桜井さん、Oさん、Iさん、おたた。
    私を大事にしてくれた亡くなった人たちは、
    今も、ここで、私のことを見守ってくれている。

    その見守りこそ、救いだった。
    どうにもならないこんな私にとって、
    その眼差しと想いがあるから、今日だけはこうして朝日を拝んで生きられる。

    生き残った私も、やっぱり亡くなった人たちがしてくれるようにして、
    見守り、想い、心配し、傍に居てやるだけでもいいんだと、
    それしか人にはできないんだと、
    今は、思っている。

    4時半になった頃、いつの間にか眠っていた。
    5時過ぎに、いつものように目が覚めた。

    生き残った人々がするべきことを、今日もして生きようと、朝日に想った。
    でも、なかなかできない。それも人間だなぁ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件