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  • from: クマドンさん

    2016年11月10日 06時21分19秒

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    一本の柿の木から生まれ育った柿たち

    昨夜、Sさんから大きなクールボックスが一箱届いた。
    その箱の重さに驚き、何だろうと蓋を開けたら驚いた。
    中には美しく並べられている柿たちだった。
    柿色に染まった柿たちのその一つ一つが「こんにちは」だった。
    丹念に手をかけて、さわした柿たちだ。
    その姿形の個性的な有様を見ると、その柿がぶら下がっていた景色が見える。
    柿が届く。
    不思議な感動だった。

    夕食後にSさんにお礼の電話をした。
    2人は、やっぱり大谷さんの話を始めた。
    私が書いた文を、Sさんはお参りに行って、
    彼のお嬢さんに読んで聴かせたそうだった。
    お嬢さんは、彼女の知らない部分でもある父の真摯な生き方に感動され、
    深く深く父のことを改めて想ったそうだ。

    今、こうしていても何だか大谷さんの笑顔が思い出される。
    大谷さんは、いなくなっていないなぁ。
    やっぱりここにいて、私たちの話に耳を傾け、
    考える人として、私の中には生きているなぁ。
    こうなってからでも、何だかもっともっと彼のことが知りたいなぁ。
    彼は、どんな生涯を送ったのかなぁ。

    何だか大谷さんは私と、Sさんとには、とてもとても懐かしい人になっていた。
    それは、「いかに生きる」をすーっと逢ってすぐに語れる人は、
    そんなにもいないからではないかと、二人で合点した。
    私とSさんの話は、「どうですか」から始まって、
    すぐに今、ここで感じていることの話になる。
    遠回りを行く時間がもったいないし、
    そんな時間はお互いに残されてはいないからだ。

    だから、すぐに「いかに生きる」の話だけ。
    その話をしながら、お互いに気付き感じたことをまた交流させる。
    その交流から、やっぱりその瞬間まで気付かなかった何かに気付く。
    「そうですね。そうでしたね」と、
    そのことはずっとずっとここにあったのに、
    今、やっとその意味が分かりましたとばかりに、
    何だか嬉しくて、嬉しくてとなってしまう。

    大谷さんもそうだった。
    私の話を本気で聴いてくれた人だった。
    だから、私も話した。
    それは、深い深いところで同じ想いでいてくれる人と信じられたからだ。
    この人なら、わかってくれる。
    そんな人としての信頼感を彼からはいつも感じた。
    それは、絶対に否定しない人の生き方だったかもしれないと、今は想う。

    大谷さんのあの温かな眼差しは、
    彼のある意味苦悩から生まれたものではないだろうか。
    それは、私の勝手な推測だが、
    苦悩や試練を経ない人には、人としての深みが感じられないものだからだ。
    「あなたもですか。」
    「そうですか。あなたもでしたか。」
    これが成り立つのは、その深みを味わって生きた人同志だけ。

    私は、そんな人になっているのだろうか。
    Sさんもまた、深い深い人だった。
    だから、とても懐かしい。
    もっともっと語りたくなる。
    どうしてなのかなぁと、昨夜は考えてみた。
    そして、ふっと、同じ故郷に生まれたからではないかなぁと、想った。

    故郷が同じ。
    同じ季節で、同じ大地で、同じ風で、同じ雪で、同じお日様で、同じ水で、
    育った者同士は、本人はその生まれ育った土地を忘れていても、
    やっぱり黙っていても、お互いに感ずるものがあるはずだということだ。

    例えば、この柿たちは、一本の樹から生まれ育った柿たちならば、
    その一本の樹が柿たちの生まれ故郷の故郷になる。
    色や形、大きさも違う柿たちなのだが、
    同じ一本の樹にぶら下がって熟した柿たちだった。
    こうして箱に入れられて、私の所に届けられた柿たちはまだいい。
    もし、別々の家にもらわれて行ったとしたら、
    その柿たちにとっては今生の別れとなろう。

    しかし、ある必然で、その柿たちが八百屋の棚に籠に入れられ並んだらどうだろう。
    相手のことは分からなくても、きっと感ずるものがあるに違いない。
    何だか懐かしい。
    それはそうだ、柿本人は知らなくとも、
    同じ一本の樹から生まれ育った柿同志だから。

    一本の樹から生まれ育った柿たちは、同じ故郷をもっている。

    本当は全ての人は、その一本の樹から生まれた一つの柿ではないだろうか。
    そのことに気付き、思い出した人だけが、
    何だかとても懐かしい人同志になる。

    大谷さんは、十分熟した。
    Sさんは、いつも熟そうとしている。
    私は、熟すことを始めようとしている。
    その同じ一本の柿の木での話。

    イエスが亡くなってから、70~80年たってから、福音書が書かれた。
    何だかその作者である、マルコ・マタイ・ルカ、そしてヨハネの気持ちが、
    少し分かった気がした。

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