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  • from: クマドンさん

    2016年11月23日 06時31分38秒

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    あれから一年たった。あっという間の一年だった。

    ちょうど一年たった。
    ふと、一年前のあののたうち回る苦しみと痛みとを思い出した。
    突然、私はみぞおちに何とも言えない痛みに襲われた。
    うめき声しか出なかった。
    脂汗が流れた。
    どんなにしてもその痛みは弱くはならなかった。
    自分の身体であるのに、その突然の変化に驚き、恐れた。
    恐怖でもあった。「これからどうなるのか」と。

    そんな朝が二日続いた。しかし、痛みが去った後は職場に出かけた。
    ところが、肝機能が麻痺状態にまで衰え、黄疸が出てしまった。
    私の身体は、悲鳴を上げ、とにかく瀕死の状況だったらしい。
    突然の入院。何が何だか分からなかった。
    それでもと、置かれた場所での生活を有意義にしようと、
    病衣を着て、ベッドの上で本を読んだ。
    点滴による痛み止めが効いていたようだ。

    しかし、胆石だろうとは予測されたが、
    その原因である石が、超音波では発見されなかった。
    私はそうやって一週間余り、何をするでなく入院生活を続けた。
    ある日、MRの検査で、微かに石があることを発見された。
    「やっぱり、これだったんですね」と、手術することに同意した。
    「簡単な内視鏡手術です。リスクは千分の一の単位ではありますが」だった。
    「お任せします。」
    これで、私の痛みと不安からは解放されると想っていた。
    内視鏡なら、開腹ではないからと、安心していた・・・・・。

    手術台で目が覚めた。
    うつ伏せのまま私は麻酔で眠っていたらしい。
    「何で私が麻酔で眠っているのだ・・・・」と、不思議だった。説明はなかった。
    そして、突然の激痛だった。
    私は全身が痛みそのものとなった。
    耐えるなんて生易しいものではなく、のたうち回る、転げまわる。
    痛みそのものが私になり、ベッドの柵を力いっぱい握りながら叫んでいた。
    「殺してくれ。殺してくれ。」と。

    どんな痛み止めも効かなかった。
    激痛が襲って来ると、意識すら失われるほどの痛みに逃げようがなかった。
    そうなんだ。痛みからは身体がある限り逃げることはできないのだった。
    医師たちは手を出すこともできず、家族はおろおろとそんな悲惨な私を見守った。
    その内に私は自然と衰弱をしていった。
    肝臓の数値だけでなく、敗血症にもなろうとしていた。
    私は、知らなかった。
    私がどんな危篤なる状態であったのかを。
    R病院は、私のことを見放した。それで、私は命拾いした。

    「このままでは内の病院では責任がもてません。N大に行ってもらいます。」
    覚悟を決めるとは、この瞬間の言葉なんだな。
    つまり、一か八かに賭けるしか、生きる望みがないということ。
    それは、私の努力でも私の自力でもない。
    ここから先は、神様の想いのままなんだ。

    夜9時、救急車は走っていた。
    私は揺れるその天井を、ベッドから見つめていた。
    ただ、そうなってしまったことを、ただ受け入れるだけ。
    これから起こることを、ただ信ずるだけだった。
    「このことにも、きっと何かの意味があるはず。」

    私は、死なないと、想いたかった。

    処置室では、数名の医師たちが緊急手術に備えて集まっていた。
    私は、衣服を脱がされ、手術着に着替えさせられた。
    静かに、そして手際よく、看護師たちが動いていた。
    付き添って来たR病院の外科医が、私の症状を説明していた。

    内視鏡手術を失敗し、私の胆管をメスで切り裂いてしまったそうだ。
    胆汁が内臓に溢れ、私は重度の腹膜炎を起こしていた。
    敗血症にもなりかけているので、このまま放置すれば確実に死に至る。
    だから、これから緊急の手術をする。
    ただし、相当大変な手術であるので、まず開けてみないと何とも言えない。
    手遅れである場合もある。
    また、患者に対するリスクは大きく、
    もし助かったとしても、回復までには数カ月の入院を要する。
    とにかく、今、ここで手術をしなければ命が危ない。

    これは、私が冷たいアルミのベッドで横になっている間に、
    妻が担当の医師から受けた説明だった。
    私は、知らなかった。いや、知らなくてよかった。私は、死にかけていた。

    私の担当のS先生が来た。
    私の足元に立ってこう言った。
    「クマさん、このままだと危険だから、これから手術するね。」
    「腹を・・・・切る。これから、すぐに・・・・。」
    頭の中がぐるんぐるんと回っていた。
    「こうしている間にもどんどん数値が悪くなっています。」
    嫌だとも言えないよね。
    一斉の同意は、妻が下した。

    あれから一年がたったそうだ。
    私は、今、ここで、こうして生きている。
    不思議なものだ。生きるということは。
    私は、生きている。いや、生かされている。ただそのことを感ずる。

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