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  • from: クマドンさん

    2016年12月25日 09時53分20秒

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    沈黙を信ずる

    さてさて、今日は小千谷の旅だ。
    ちぢみの里でアルビレディースの皇后杯だ。
    それから、Sさん、Wさんと、生きるを語る。
    そして、Oさんを語る会に参加して、Oさんの思い出を語る。
    それから、電車に乗って、新潟駅は11時過ぎになる。
    ハードだが、面白い旅になりそうだ。

    Sさんとは、話すとすぐにお互いの気付きの話になる。
    「どうですか」と、問われて、「実は・・・」と応える。
    その対話の中に何か、とても大事なものが現れて来る。
    そのことに対する期待感がいつもある。
    何とも懐かしい魂の話だった。

    そうだなぁと想う。
    その話だけで十分だし、その話ができるだけ幸せなんだ。
    いつもそう感じている。
    振り返ってみたら、何だかそうあるべきように、
    大事な人と二人は出会っていた。
    その人たちとの出会いを通して、自分のことを学んでいる。
    「自ずから分かる」時が来る。
    それまでは、発酵するのを待つようなものだった。

    魂は、発酵する。
    何だかこうなったら、そうなっていくままに任せてみる。
    そのままに委ねてみる。
    本当はそんな生き方に「自由」が、あるのではないだろうか。
    大いなるものを信じて、お任せして生きる。
    そうできたら幸せだろうなあと、想えるようになった。

    昨日、町内を回った。
    それぞれ高齢者や独り暮らしの人の家だ。
    クリスマスで世間はきっと賑やかなのだろうが、
    その家や、その窓からはひっそりとした気配しか感じられなかった。
    独りでここに居る。
    どんな想いで、どんな気持ちでここに生きているのだろう。
    それまで、そんなことを考えもしなかった私だったが、
    何故か、その独り独りの日々の生活が気になっている。

    余計なお世話だ。
    プライバシーだ。
    個人情報だ。
    そうだから、地域のお年寄りたちは孤立する。
    自分から助けを求めたり、弱みを出したりしない世代の人たちだ。
    人には迷惑をかけられないとも想っている。
    他人様という言葉もあった。
    だから、じっと独りで耐えている人も多いのではないだろうか。

    せっかく同じ地域に住み、こうして暮らしているのに、
    お互いに知り合うこともなく、話したこともなく、
    いつの間にか去っていってしまう。
    空き家になってから、その家の住人が施設に入ったことを知る。
    また、独り暮らしで誰ともかかわらないために、
    突然の病で孤独死をしても誰も分からずに放置される。
    障害があるために買い物や日常生活が不自由なのだが、
    遠慮して生活支援を受けることをしていない人たちも多いと聞く。

    みんな自分のことで他人様には迷惑をかけられないと想っている。
    しかし、声に出さなければ、自分の現状を知らして行かねば、
    今は隣近所でもその実態を知ることは難しい世の中となっている。
    こうして豊かな社会になったと言われるが、
    実は、そうであるからこそ格差が生まれ、貧しさが生まれてきていると私は想う。
    そんな地域社会のままでいいのかと、私はふと想ったりもする。

    自分がまだ助けられるうちは、助けたらどうなのだろう。
    自分がまだ動けるうちは、地域の何かのために働いたらどうだろうか。
    何だかほっておいてやることや、かかわらないことが親切のように想う人もいるが、
    本当にそうなんだろうか。

    人は、みんな孤独なんだ。
    その孤独の中で老いている。
    老いるということは、死に近づいているということだ。
    病気もあるだろう。
    経済的な悩みもあるだろう。
    身体が不自由でなかなか日々の生活がままならない人も多いだろう。
    施設に入れる人ばかりではないのだ。

    私は、そうした地域に住む独り独りのお年寄りのことを忘れても暮らせる。
    ただ、亡くなった父や母のことを想うと、
    老いて弱って行く自分自身の哀しみや孤独感を、
    それはそれでどうにもしてあげられないものだったが、
    感じて、私が哀しくなったものだった。
    哀しいねと、ただ傍に居るだけしかできない。

    でも、今、独りのお年寄りたちには、その哀しいねと傍に居て、
    黙って話を聴いてくれる人が居ない。だから、私は想っている。
    心の支援こそ、今全てのお年寄りには求められているのではないかと。

    寂しい。哀しい。辛い。切ない。独りぼっちだ。死にたい。
    クリスマスの夕方、独りぼっちで炬燵に入ってテレビを観ているおじいさん。
    さてさて、それはいずれ私が辿る道。
    後何年かすると、私もその人と同じおじいちゃんだ。

    お年寄りの引きこもりが多いと聞く。
    貧しさで悩む年金暮らしのお年寄りの話も聞く。
    その孤独なる魂を少しでも癒し、話を聴き、繋がってやれる地域社会に、
    そんな本当に人間的で豊かな地域社会にするのは、
    やっぱりまだ動けて、働ける若い人たちや、中高年の仕事なんだと、
    私は、想ってささやかだが、何か行動を起こそうとは考えている。

    地域に住む、お年寄りたちの魂と対話する。
    きっとそこには発酵した、深く、豊かなる魂が存在していることと想う。
    その人たちとの出会いをすることだ。
    そして、その人たちの語りを聴くことだ。
    そして、その人たちのことを忘れずに、私だけでも記憶することだ。

    そこからまた、Sさんとそうであったように、
    いかに生きるかの出会いが始まる予感がする。

    ゆっくりと、焦らず、丁寧に、心を尽くして、誠実にだ。
    昨夜、クリスマス礼拝だった。
    牧師さんが、遠藤周作の「沈黙」の映画のお話しが在った。
    確かに、苦難の最中に神は沈黙されている。
    しかし、絶対に私から目を離してはいない。いつもじっと見守っている。
    それも、私の哀しみと苦しみと孤独とを我がこととして。
    そして、いつもその深い沈黙を通して、私に語りかけて来た。

    沈黙が、語る。
    深い深い言葉は、沈黙だけが語る言葉だ。
    神は、沈黙をする。
    しかし、ここに在る。
    その眼差しと、その想いとを感ずることが私にはある。
    人が私を捨てた時に、神だけは私の傍に佇み、在ってくれた。

    そして、私に、この働きを与えられた。
    まさか、この私に。この私が。どうして私なんですか。ではない。

    考えてみたら、Sさんの向こうには魂の故郷が在る。
    亡くなったOさんは、今でも沈黙の中で魂の故郷から深い言葉を語ってくれる。
    沈黙の声こそ、深い深い魂の言葉なんだ。
    ならば、もうここからは、その声に随い、ただこの道を迷わずに歩けばよい。
    沈黙と向き合う時、けっして私は独りではないのだから。
    その沈黙を信ずるだけで、いいのではないかと、今、ふと気付いた。

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