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  • from: クマドンさん

    2016年12月27日 15時11分08秒

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    Wさんからの宿題の応え

    さてさて、Wさんから宿題がもう一つ。
    今日は検査のために自宅に居なくてはならず、
    何もやることがないので、ここにWさんの問いに応えることにする。

    自然と対話をしながら、作物を作り、共同体を大切にすることが自分達に食料や燃料を与えてくれる自然を大切にする山中集落

    作物を作る営みとは、まさに「主体的な学び」だと想う。
    私も野菜を育てているので
    よく分かる。
    目の前の事象とその周りの環境から何を感じ、何を学ぶかだった。
    そして、学んだことを生かして、作物にその知恵を還元する。
    それは、自然と人との共同作業だ。

    子ども達に本当の味を伝えたい。自分達の食べるものを自分達で作ることを教えたい。
    いのちが繋がって、生かされていることを体で知ってもらいたい。

    食べるということは、生きるということ。
    それも、自分が育てた作物を食べることは、そのいのちを味わうこと。
    スーパーで買って来た大根の味と、自分が育てた大根の味は、その深さが違う。
    それは、育てたことのある人だけが感ずる実感であり、喜びだ。
    そんな喜びを子ども時代に体験させたい。
    するときっと野菜を味わえる子に育ち、
    米や野菜が自分の身体を作っていることを実感として分かるはずだ。

    自分の居場所を作り出しています
    森は子ども達の感性を刺激し眠っていたDNAを目覚めさせます。それらは芸術や科学や学問、宗教の種として子ども達のからだに刻み込まれていきます。

    心の居場所がもしも自然の中だったら、どんなに素敵なことだろう。
    ここが私の魂の故郷なのだと、その自然をまるごと感じられたら、
    それはそれは幸せなことではないだろうか。
    きっとその真っただ中で遊ぶことで、細胞の一つ一つがふつふつと目覚め、
    喜びをもって歓喜することだろう。
    細胞も自然なんだ。この身体も自然なんだ。自然でないいのちは一つもないんだ。
    だから、その感動から、歌が生まれ、詩が生まれ、知識が生まれ、笑顔が生まれる。
    大いなるものの前に立たされたちっぽけな私は、
    そこで神様としかいいようのない何かと出会うかもしれない。
    私は、幾多の山登りから、そのことを実感している。

    人生は山登りのようです。子ども達は時に黙って歩き、自分の次の一歩を自分で考えて、決め、歩きます。時に仲間と感動を分かち合い・・そのようなことが幼児にもできる自分のいのちも他の人のいのちも大切にできる子ども達を育てていくにはどうしたらよいか子ども達は遊びながら人間になっていくのです。


    生きることは、選択と決断の連続だ。それは、登山道を一歩一歩登るプロセスと同じだった。歩き続ける。そのためには、次の一歩を置くための石を見つける。そして、一歩を踏み出す。次の一歩はそこにしよう。この選択と決断の連続の中で、考える力は育っていく。自分が弱り、挫けそうになった時には、一緒に登っている人たちが励ましてくれる。分かち合い、助け合えるという信頼感。その中で、私も他の人も同じ人として実感される。いのちと私とは同じなんだと、子どもたちは自然の遊びを通して実感できるはず。いのちは、私。その実感が、人の魂をきっと育てる。


    多くのいのちと出会い、あるときにはそれを殺し、「死」ということも感じます。
    子ども達を取り囲んでいる溢れるばかりのいのちの中で、自分もそのいのちの一部であってその中に共に活かされている存在であることを、知識ではなく、理屈でもなく、自分自身の体で感じたこととして、魂に刻み込まれたこととして獲得していく

    身体に感じたことだけが、魂には刻まれる。考えたことは、そこで終わる。実感として感じたことだけが、言葉になる前の実感のままで魂には残される。そして、いつか、その時が来ると、その魂に刻まれたものが自然に熟し、発酵して、「ああ、これだ」と分かる日が来る。分かるためには、分かるものを魂に刻む必要がある。無いものを分かることはできないからだ。感ずることは、感じたことを魂に記憶することだ。そうした深い体験は、自然の中にだけあるものだ。

    自分達で一緒に暮らしを営んでいくうちに人間として大切なことを学び取っていく、そのようなところだと。そのプロセスで天候の変化、いのちの循環、労すること、感謝すること、人との協力など大切なことを学びます。

    今、人はその営みと生業とを街の中で行う。ここでは、自然は意識しなければ感じられない。残念だが、そうなんだ。冬枯れの梢にムクドリたちが止まっていた。でも、それを見て、感ずる人はどれだけいるのか。街では自然は傍にありながら、道行く人たちには気づかれない。だから、自然からの学びは少ない。それが寂しく、それが残念だ。本当に生きるために大切なことは、きっと自然が人に教えてくれたことだと私は想う。厳しい自然の中で生きるから、人は助け合って生きるのである。あの雪深い妻有の人たちのように。そして、春を迎えることで、いのちの芽吹きを感じ、生きることの喜びを謳歌できる。冬があるから、春が温かい。そして、過酷なる暑さの夏に汗を流し、秋には収穫の時を迎え、人は自然の慈しみと恵みとに感謝する。自然は、神そのものだ。太古から、自然を祈り、自然に感謝し、恵みのほんの一部でもその神に捧げる。祭りをする。
    自然と人とは一体だった。その暮らしから、人は人として大切な生き方を教わったはずてある。

    さてさて、その自然と一体となった学びの場を、今こそ復活・再生すべき時。子どもたちを再び大自然と出会わせて、自然と共に在った古の暮らしを追体験させる。子どもたちの魂に自然の言葉を刻ませる。そのことこそ、「深く生きる人」を育てる風土となるのに違いない。

    きっとWさんは、このことを言いたかったのではと、私は想う。

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