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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年01月28日 07時58分09秒

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    踏まれた人の傍に居る

    昨夜、豊栄での飲み会だった。
    わざわざ豊栄から車を置きに自宅に戻り、それから電車で豊栄だった。
    その電車が強風のため遅れ、満員電車の車内だった。
    その車内で座ったまま、せっせとクレンジングからファンデーション、
    鏡を見ながら、マスカラにチークだった。
    この大胆で傍若無人な我がまま女は、どうしてこうやって生きているのか、
    ずっとその不思議さに呆れ、見とれていた。

    さてさて、知らない人ばかりの飲み会は、なかなか居場所のないものだった。
    しかし、歳は取るもの。
    大倉屋の素晴らしいご馳走に感動しながら、
    日本酒を私だけ頼み、手酌しながらそのご馳走を堪能していた。
    飲み会は、適量を知るために、手酌に限る。

    帰りの電車に間に合うために、まだ雪が凍っている歩道を走った、走った。
    そして、9時23分の新潟行きに間に合った。
    3分遅れて到着したから、間に合った。
    ほっとして帰りの電車のために購入したハイボールの缶を開ける。
    菊水一番搾りでは、この新潟までの20分間では飲みきれないからだ。
    いつもいつも、次にどのようにして酒を飲もうか考えての行動だった。

    駅前のバスステーションから、10時5分の「下山スポーツセンター」最終便だった。
    そして、切っていた携帯の電源を入れて、せみさんにメールした。
    実は、彼の大事なお父さんの具合がよくないのだった。
    熱があり、意識が薄らぎ、排尿は管からだった。
    父がそうだった。だから、私は余計な心配をしてしまった。

    彼のお父さんには、会ったことはなかった。
    職人気質の頑固なお父さんだとは聞いていた。

    私が心の病で、長期休職している時だった。
    私は、もう職場には戻れないかも知れないと弱気な日々を送っていた。
    家で欝々としているよりか、外でお日様を浴びていようと、
    近くの通船川で、生まれて初めてへらぶな釣りを始めた。
    この釣りは、釣った魚をリリースするから、その時の私にはぴったりだった。

    そんな私を見て、彼は、一本の浮きをもって来てくれた。
    確か、お父さんの自作の浮きだったと思う。
    へらぶなは実に実に微妙な当たりだった。
    口の中に餌を加えてからも、何度も何度も浮き沈みする。
    その浮きにしてから、その浮き沈みの意味がよく分かった。
    合わせられるのだ。
    釣れた、釣れた。ありがたかったなぁ。

    それから、ある日、一本のへらぶな釣りの竿をいただいた。
    「親父の竿、黙ってもってきました。使ってください」と。
    彼のお父さんは、へらぶな釣りの名人だった。
    あのへらぶなの竿は、調子が微妙だから、どれも高くて私には買えない代物だった。
    私の竿は、5本つなぎで2千円の竿だった。
    私は、その竿をもったとき、手が震えた。

    しかし、そんな大事な竿なのに、横にしておいて、私は気付かずに踏んでしまった。
    やってしまった。
    ぽきっ。
    私は、哀しくて、哀しくて、申し訳なくて、申し訳なくて、
    やっぱり黙っていられなかったので、せみさんに謝った。
    そしたら、どうだ。
    お父さんは、大笑いだったそうだ。
    「あの竿を素人が使うと、そうなると思っていたて」と。
    私は、その話を彼から聞いたとき、
    その豪快で磊落なお父さんのことが、何とも言えず好きになった。
    一度もお会いしていない、その人を。

    釣りには、自転車に竿を縛り付け、荷台にクーラーボックスを乗せて走った。
    走って10分のその川だった。
    帰りに近くのサークルKに寄った。
    するとそのレジには、彼の美人妻が立っている。
    私が惨めにこんなんになって毎日麦わら帽子を被って、
    釣りに行っていることは知っている。
    そんなどうにもならない哀れな中年叔父さんなのに、
    彼女は、いつもいつも笑顔で、優しい。

    ただ、他のお客さんと同じように、ピッとして、会話を交わす。
    それだけだ。それだけだ。
    だけど、そのことがどんだけ嬉しかったことか・・・・。
    もう職場に復帰できないかもしれないなぁと、
    浮きをみながら、ただなんとなく日々を生きている私だった。

    せみさんは、そんな私に浮きと竿とを届けてくれた。
    お父さんは、竿を折った私を大笑いだった。
    奥さんは、私が来ると、何気なく、優しく声をかけてくれた。
    まだ、父と母とが生きていた。
    帰ると、今はもう聞けない「おかえり。お腹減ったろ」の母の言葉。
    父は、テーブルの自分の席でお茶を飲んでいた。

    バスが、長者町南に着く間に、
    私は、ずっとこの切ない日々のことを思い出していた。

    そして、わかった。
    足を踏まれてつぶれてしまった中年親父が、
    今、ここで、来年度は退職を迎えることができるのは、
    あのつぶれたときの私に、さりげなく私の心の気兼ねにならず、
    何となく傍に居てくれて、気遣ってくれた、その優しさがあったからだと。

    「優しさ」とは、その人のことだった。
    「憂」は、私だ。
    その横にずっと離れずに居てくれた、その「人」

    私は、どうにもならない感謝を感じた。
    そして、踏まれてつぶれた人がいたら、
    私もそうすればいいんだと、59歳でやっとわかった気がした。

    せみさん、ありがとう。

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