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  • from: クマドンさん

    2017年01月31日 05時57分04秒

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    彼のように生きたい

    日曜日からちょっと喉が痛い。
    咳が出るし、痰がからむ。
    咳をする度に、縫った腹がきりきりと痛む。
    まだ繋がっていないこの縫った部分が、いつも痛んで仕方ない。

    「思う通りにならないことを思う通りにしようとする」
    「だから、人は苦しむ」とは、ある医師であり僧侶である人の言葉だった。

    そうだなぁと、いつも感ずる。
    思い通りにいかないことばかりが、人生だからだ。
    自分が思ったようになったことは、本当に少ないのではないだろうか。
    「こうきますか」という、予想外の出来事や、
    「それは勘弁してください」という、
    どうにもならないことの連続が人生だったような気がする。

    昨年の今頃は、ふらふらだった。
    術後の回復もままならず、体力がないために、外出もできなかった。
    「どうしてこんなになってしまったのか」と考えるだけ無駄だった。
    「だから、今日をどう生きるか」と、その問いだけが私には残された。
    「死にたいわけではない」
    「もっと生きたい」ならば、今日、今、ここをどう具体的に生きるのか。
    その「問い」が、そんな無力なる日々の内に、自分のものとなった。

    僧侶は、癌で死に行く人たちのためにホスピスを作った。
    「余命数カ月」の人たちが、そこに入る。
    そして、医師である彼にずっとある眼差しで「問う」ている。
    「人は、何のために生きているのですか」と。
    「私の人生は、いったい何でしたか」と。
    「人は、死んだらどこへ行くのですか」と。

    その問いに、応えられる医師は居ない。
    医学はあり、治療はあり、手術はあり、投薬はある。
    しかし、「死」という究極の体験に対して、
    「安心してください。大丈夫ですよ」と、言ってやれる医師はいない。
    死と向き合って答えを求めているその強い眼差しに対して、
    「安心」を与えられる医師はいない。

    それは、「宗教」の仕事なのだと、彼は言っている。
    刻一刻と死に近づいている私の人生。
    死なない人は、一人もいない。
    生きている者はみな衰え、老い、病を得て、死んで逝く。
    そんな当たり前で、ごくごく自然なことから、目をそらせて生きている。
    だから、思い通りにならないものを思い通りにしたくて苦しんでいる。

    護摩を焚くとは、その護摩というちっぽけな己を燃やすことらしい。
    「自分はいらない」
    「自分を捨てる」
    「自分のことは一番あとにする」
    それは、自我の欲とは、全く反対な生き方だった。

    私は、突然の生き死にの十時間にも及ぶ大手術だった。
    その間、きっと私は死んでいたのだと、そう想っている。
    でも、怖くはなかった。
    何も覚えてはいないが、あのままご臨終になっても、それでもよかった。
    「施無畏」だった。
    あの状況の中で、私には「死ぬ」ことは怖ろしくはなかった気がする。

    ただ、こうして生きている日々から死を想うと、
    やっぱり恐ろしく感ずることもある。
    「どこへ逝くのだろうか」と、不安に想うこともあるからだ。
    しかし、逝く先は、きっとこの身体が知っているだろうとも想っている。

    痛みは、ない。
    苦しみは、ない。
    まるで眠ったようにして、母も父も逝った。
    それは、私にとっての何よりもの「施無畏」だった。

    この「施無畏」こそ、「安心」だ。
    僧侶は、癌になり、余命数カ月となった。
    病院の経営と患者の診察とは、娘と妻とに任せて、
    今は、患者さんと語りながら、自分の死を見つめながら生きている。
    誰にも、その日はやって来る。

    思い通りにならないことが、人生なんだ。
    この腹の痛みを感じつつ、何もできない自分を情けなく想いつつ、
    「いかに今日、今、ここを生きるか」の「問い」は、
    死ぬまで持ち続けたいと、彼の献身的な姿を見て、私は感じた。
    願わくば、彼のように生きてみたいものだと・・・・。

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