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  • from: クマドンさん

    2017年02月02日 06時07分53秒

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    言葉の人になる

    比較することで、自分のことがわかったりする。
    それは、人との比較ではなく、自分自身との比較だ。

    去年の今頃、私は復帰に向けて準備していた頃だった。
    身体だけでなく、心もそうだ。
    暫く現場を離れると、戻れるのかどうか心配になってしまう。
    ちょうど、この時、古町で「春節」のイベントがあった。
    「途中の会」のSさんと、Wさんとここで会って、話したものだった。

    私は、ある意味、生還だった。
    あの最中は、面会謝絶。一切人と会わないことにした。
    それほどダメージを身体と心には受けていた。
    あの日、Sさんを新潟駅まで迎えに行った時、
    私は、身体と心とが元のようには戻っていないことを感じた。
    「ああ、この不具合は、ずっと続くのではないだろうか」
    そんな不安と心配の中だった。

    人生は、一変する。
    そう想っていた方が生き方としては楽なようだ。
    そんなことはある。そんなことばかりだ。
    私は、あの腹膜炎の大手術から、確かに何かが変わったことを感じている。
    それは、いったい何だろうかと、ずっとずっと「問う」ている。
    その「問い」は、きっと私が死ぬまで続く問いでもあった。
    「何のために生きているのか」
    死ぬということを想うと、この生きるということが想われる。

    いや、反対かな。
    死ぬということを想わない限り、
    生きるとは何かなんて「問い」は、決して人には生まれてこないものだ。
    そして、その「問い」を持たずに生きて来た人を、
    私は、何だかとてもとても寂しい人のように想えるようになった。

    毎日、ニュースでは、どこかの国の馬鹿な裸の王様の話ばかりだ。
    この人、実に人間として情けなく、哀れな人だと、私は想う。
    きっと、この人は、「問い」等持たずに、
    最期まで自分はナンバーワンだと勘違いしたまま死ぬんだろうなぁ。
    死んでから気付いても遅いのになぁと、そのことが哀れだ。

    私は、おかげさまで生き死にの境を彷徨わせてもらった。
    向こうに行きそうになったのに、まぁだだよと、呼び戻された。
    あの気が付いた瞬間を今でもまざまざと覚えている。
    確かに、戻って来たという実感だった。

    生きることと、死ぬこととは、同じなんだと、何だか想えるようになった。
    ただ、その在り方が違っているだけなんだ。
    目に見えるものか、目そのものなのか。
    身体が在る。痛みが在る。病が在る。それは、生きているからだ。
    私は、毎朝、ぬるいお風呂にどっぷりと浸かる。
    お湯の温かさを身体の皮膚で感ずる。
    「ああ、生きているから、温かいんだなぁ」と、そこで生きるを実感する。

    ゴミ捨てに行く。
    まだまだ夜が明けない雪道だ。
    寒さで指の先が痛いようだ。
    そして、冷たい、凍えるような風を肌で感ずる時、
    「ああ、生きているから、寒いと感ずるんだなぁ」と、そこで生きるを感ずる。

    生きているということは、身体で感じられるということだ。
    それは、この身体がここに在り、私を私として生きていてくれるからだった。
    そうだなぁ。長い間、身体のことを忘れていたなぁ。
    そんな気付きが今の私にはあるし、その気付きは私とって大きな気付きでもあった。

    私は、「身体に聴く」ようなった。
    それは、生きていてくれるこの私の身体との対話でもあった。
    私がここに、こうして生きているのは、
    私の身体が眠っている間も生命を維持し続けてくれたおかげさまだ。
    そして、目覚めた後でもこうして動き、働き続けてくれるおかげだった。
    そのことの不思議さに気付かなければ、
    きっと、「いかに生きるか」の問いは、その人には絶対に生まれないことだろう。

    「考えることが、そんなに大切ですか」と、聞かれて、どきっとした。
    「この人は、いったいどうやって生きているのだろうか」と、
    「この人は、人は死ぬものだとわかっていないのだろうか」と、
    「何だか、それでは、あまり、浅はかではないか」と、
    「せっかくこの世に生まれて来たのに、それでいいのか」と、
    私は、情けなく感じた。

    私は、生きるを身体で感じて、考えている人の言葉が聴きたい。
    その言葉は、きっと私自身が追い求め、問い続けていた言葉であるだろう。
    そんな言葉の人は、ずっとずっと奥深く考えている人だ。
    言葉が、その人になる。

    私は、そう生きたいと願っている。

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