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  • from: クマドンさん

    2017年02月04日 08時04分22秒

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    生きづらかった私

    生きづらい時代があった。
    それは、思春期と共に始まった。
    突然、いじめにあった。
    それは中2の時だった。
    中1の一部の女子から標的になった。
    「げっ」「気持ち悪い」と。
    廊下で会うと、そんなことを言って向こうに走って逃げる。
    あったよなぁ。そんなこと。

    女子と話せなくなってしまった。
    まるで失語症のように。
    みんなでわいわいと楽しそうにしている輪の中に入れない。
    何を話していいのか分からないし、
    何だかあそこに入る勇気が出なかった。
    休み時間は、辛い時間だったなぁ。

    それでも、仲のよい悪仲間がいてくれた。
    その友達が、私に声をかけ、遊びに誘ってくれた。
    何をしてもぱっとしない私だった。
    勉強がそこそこできたから、
    それだけがちょっと救いだった。

    しかし、受験に失敗した。
    少し背伸びして受けた高校だった。
    合格発表に行けなかった。
    情けない男だ。
    そして、中学校へ不合格の報告にも行けなかった。
    母が、行った。
    先生から、母は言われたらしい。

    高校時代も悲惨だった。
    突然、学級委員長に選ばれた。
    できるはずはない。
    人とどうやって話したらいいのかわからなくなっているのに。
    勉強の時は、席に座って、先生の話を聴いているからいい。
    しかし、休み時間が、苦痛だった。
    ベランダで、みんな馬鹿話をしている。
    そこへ入れない。
    どうしてだったのだろうかと、今も不思議だ。
    でも、やっぱり自分からは声すらかけられなかった。

    寝たふり。
    屋上で弁当を食べた。
    そしたら、似た者が集まるものだった。
    ごった煮の生徒たちだった。
    私が初めて出会う種類の人たちばかりだ。
    私は、孤独で、帰宅部で、いつも古町を歩き、下町まで歩いた。
    その内に、煙草を覚え、酒を飲み、ジャズ喫茶に入り浸った。

    「ママ」だった。
    「バップ」だった。
    マイルスとコルトレーンだった。
    「マジョリカ」にもよく行った。
    そんなこんなだったけれど、それなりに楽しんでいたこともある。
    しかし、女子はやっぱり苦手だったなぁ。

    宅浪をした。
    何たって人が集まっているところが苦手だった。
    それも見ず知らずの集団の中では、
    私は、自分がどこにいたらいいのか、不安で仕方なかったからだ。
    人に話しかけることも、心の重荷だった。
    本当にごくごく自然に初対面の人に話しかけられる人を、
    私は、宇宙人のように見ていた。
    その時は、テツという年老いた雌の柴犬が心の友だった。

    東京の叔母のところに暫く下宿した。
    三畳の部屋。
    叔父の八百屋の店員が住みこんでいた部屋だった。
    前の住人である従妹のM太郎は、ここから慶應義塾に進学した。
    私は、30円だったけ、目黒から切符を買って、代々木に向かった。
    ゼミナールで、受験勉強をした。

    その時、私の人生を変えてしまう言葉に出会えた。
    「自然は、芸術を模倣する」だった。
    わけもわからないが、この言葉で深く深く何かを悟った気がした。
    私は、よく文芸地下で映画を観た。
    200円だったけかな。
    昼飯代を使って、映画の暗闇に身を潜めた。
    そこには、人生があった。
    「人生は、映画を模倣する」かな。

    よくまあ、こんなんで生きて来たものだと感心する。
    途中で、よく人生をふけなかったものだ。
    真面目とは、究極の正反対。
    「ここがロドスだ。ここで跳べ」
    私は、孤独で、その孤独の生き方だけを、貫いた。

    私は、渋谷の大学に合格した。
    第2部。夜学だ。それも、キリスト教の大学だった。
    こう生きるしかないよねぇ。
    金も無いし、恋人もいないし、車もないし、やることがないし。
    日曜日が辛かった。
    お金がないから、バス代だけ持って目黒に向かい、叔母の家で飯をいただいた。
    帰りに、もらえたお小遣いが、嬉しかった。
    これで、三日間は、安心だ。

    そんな夢を見て、目が覚めた。
    思い出すと、本当によく生きたものだった。
    そして、人生とは、何とかなるようになっているものだと、
    ここまで生きてきて、そう想っている。

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