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  • from: クマドンさん

    2017年02月06日 06時35分23秒

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    怖ろしい立ち位置

    さてさて、一週間の始まりだ。
    本日、朝からN大病院の外来だ。
    副腎に小さな腫瘍らしきものが見つかったので、
    その検査をするための注射だった。

    アイソトープの検査だそうで、
    甲状腺への被ばくを抑制するために、私は三日間ある薬を飲んでいた。
    ヨウ素というやつだろうか。
    原発事故で飲むあれと同じやつかも知れない。
    本日は、まず注射で体内にある液を入れる。
    明日は、いよいよ放射線を浴びながら、副腎の変化を調べるそうだ。

    一度、身体を開いたり、精密に検査すると、
    どこかやっぱり不具合があるのは、当たり前だと想う。
    私は、その腫瘍の大きさはまだ小さいのだけれど、
    そこから出るホルモンの数値が正常値の2倍なのだそうだ。
    二つの馬鹿でかいポリタンに貯めたオシッコでそれが分かった。
    身体で起きていることは、
    こうして詳しく検査することで、より明らかになっていく。

    風が吹けば何とかで、
    私は、一昨年から病院とかかわるようになってから、
    ずっとずっとこうして病院とのお付き合いが途切れない身体になってしまった。
    いや、なってしまったのではない。
    なっていたのだ。
    ただ、そのことには自覚症状もないので気付かなかっただけなんだ。

    ある人に相談したら、
    「よかったよ、クマさん。見つかったから」と、励ましてくれた。
    そうだなぁ。
    人生にとって大事なことは、本人が気づかない内に進行しているんだなぁ。
    そして、気付いた時には、既に手遅れ。
    「思い通りにいかないこと。それが人生だよ」と、誰かが言っていたっけ。

    さてさて、二日間「ギリシャ悲劇」だった。
    リーディングだった。
    本当に本当に自分のことが試された。
    いや、晒されたとでも言うのだろうか。
    こんなに追い詰められたことは久々のことではないだろうか。

    トアス王の狂気の台詞を、土曜日に初見で熱演だった。
    言葉と向き合い、言葉が感情を高ぶらせ、言葉が語り、言葉が私だった。
    まさに言葉と一つだった。
    何だこれはと驚き、想いながら、一気に長い台詞を独白だった。

    ところが、その同じ台詞を、二日目には言えなくなった。
    「クマさん、やってみましよう」と、S先生。
    私は、仮面を着けてのトアス王。
    読み始めて私は焦った。
    言葉が入らない。言葉が生きない。言葉と私が別々だ。
    私は、語っている私を観ながら、その声を聴きながら、
    きっと熱くもなれない自分を感じて、焦っていたのだと想う。

    反応は・・・「駄目だね。初見とは違ったね」だった。
    そうなんだ、きっと周りに居る人たちにも何も伝わらなかったと想う。
    何でだろう。
    突然、台詞が怖くなった。
    言えていると、語っていると想っている自分が己惚れただと感じた。
    そうではなかった。
    私は、言葉を作っているのではないか。
    そうしてはいけないと感じながらも、作り物にしてしまったのではないか。

    「言葉の向こうの人になる」
    「演ずることはない。その気持ちがそこにあればいい」
    何と何と難しいことだったのか、
    遙かにこの人物は、私を超えている。
    神のような領域に生きるギリシャの英雄の言葉は、
    私には、言えない。

    その無力感を、挫折感を、途方感を、みんなの前に晒して立つ。
    Sさんは、私にダメ出しをしながら、
    私に、語らせたい台詞の情感やニュアンスを伝える。
    その瞳から語られる言外の言が伝わらない。
    いや、ここで私の身体と想いとが、それを受け止めて、
    あるがままに表現できない。

    何だ、この無力感は・・・・・。

    私は、リーディングで試された。
    「やってみて」と、やらされた。
    そして分かったことは、「できない」私だった。
    いや、きっと私はずっと「できなかった」のだと想った。
    それを、私は「できていた」と勘違いしてたんだ。
    そのことを、S先生はずばりと指摘して、教えてくれた。

    やはり師匠をもたなければだめだなぁと、つくづく感じた。
    私自身が見えていない私、勘違いしている私、もう少しの私。
    それを、ずばりと指摘し、修正して行ける師匠。
    私は、その人の前に立つことが、怖く感ずる人に初めて出会った気がする。

    アガメムノンとトアス王。
    私は、そのギリシャの将軍とペルシャの王が降りて来てくれないので、
    只管、みんなから離れて、独りで待っていた。
    出番とは、こんなにも恐ろしいことだったのだ。

    それでも、あの場に立たねばならない。
    台詞を、語らねばならない。
    その恐ろしさに、逃げ出したいような気持だった。

    さて、明日は、そのアイソトープの検査だった。
    どんな結果が出ても、動揺はしたくなかった。
    しかし、ここもまた恐ろしい舞台であった。

    「人生とは、舞台である。人は、その舞台で演ずる役者なのだ」シェークスピア

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