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  • from: クマドンさん

    2017年03月30日 15時45分27秒

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    実感だなぁ

    身体で感じたことは、真実だ。
    それは、実感として獲得されたことだからだ。

    こうして坐骨神経痛の痛みで苦しんでいる間に、
    私なりに学んだことがあった。
    それは、彼も、彼女も私なんだと言える人が増えたということだった。

    以前、ジョギングをしていた時、
    60代前半の男性が、リハビリの為に歩いていた姿とよく出会った。
    脳梗塞の後遺症だろうか、左半身が麻痺しているようだった。
    左足をずるっと引きずり、ゆっくり歩いていた。
    私は、その人の横を走ってすれ違うことが何だか申し訳なさを感じた。
    「がんばってください」と、声には出さないが応援をしていた。
    その時、私は、きっとその人にはなれなかったはずだ。

    しかし、今は、きっとその人は、私なんだと想われる気がする。
    今も杖をついて痛い足を庇いながら歩いて来た。
    左足を着くたびに痛みが走る。
    それでも、やっぱり前に進むためには、両足を一歩一歩進める。
    なかなか目的地にはたどり着かない。
    そのもどかしさと、不自由さとが、私だった。
    今度、きっと彼に出会ったら、私の想いは以前とは異なっていると思う。

    大病をした人たちに対してもそうだった。
    その話を聴いても、きっと「お大事にしてください」とだけ言ったと思う。
    いくら想像力を働かせても、
    寝たきりで何カ月も闘病した人の気持ちはきっとわからなかったと思う。
    しかし、今なら、「ああ、あの時の私と同じだ」と、
    「大変でしたね。私もそうでしたよ」と、共感し、実感することができる。
    人は、やっぱり経験したことしか実感として分からないものだ。

    Sさんと電話で話した。
    「何だか60代や70代の人たちと話していると、感ずることがあるんですよね」と。
    それは、「私も大病しましてね」だとか、「私も最愛の人を亡くしましてね」だとか、
    「足が不自由で難儀してますて」だとか、「手術して大変でしたて」だとか。
    何だか、そうした艱難辛苦・哀しみ・辛さを経験した人は、
    奥が深くて、人間としても大きな人に感じられるということだった。

    そして、そういう人は、いかにもという感じて謙虚に生きている。
    「俺が、俺が」と威張っている人ではなく、何だか奥ゆかしく、
    いつも何かに感謝しながら生きているような気がする。
    5回の手術から生還した上越の85歳のKさんのように、
    何だかとても達観しているような安心感を感じさせる人が多いのだ。
    それは、自分も命拾いしたからだけでなく、
    同じ想いにある人たちへの深い深い共感と同情に満ちているからだった。

    「私は、後は、癌だけですて」と、Sさんには笑って言ったが、
    本当にこの世の難儀のいろいろなケースを経験して、
    「ああ、私もそうでしたよ」と、言ってやれる私になったような気がしている。

    「クマさん、これからが楽しみらね」と、Sさんは笑っていた。
    私も、そう考えれば、この坐骨神経痛にも意味が在ると想った。
    腰を痛めた人や、坐骨神経痛になった人とは、話ができるからだった。
    「分かる、分かる、その痛み。」
    「腰には、枕を低くしたほうがいいですよ。」
    自分の経験から、実感で相手に伝える言葉がある。
    それは、みんな身体で感じた言葉ばかりだった。
    そして、その言葉は、リアルであり、しっかりと相手に伝わる言葉だった。

    艱難辛苦しか、この世にはないのだろう。
    まず、その最中に陥ってしまったら仕方ない。
    激しい痛みと孤独とに絶対に向き合わねばならないだろう。
    しかし、何時までもマックスの痛みや孤独ではなく、
    長い時間によって、いつしか波が引くように、静かな時を迎えることになる。
    「殺してくれ」と言って転げまわっていた私も、
    こうして椅子に座ってキーを打っている。

    そして、その時だ。
    「私もそうでしたよ」と、やっと人に言ってやれるのは。
    彼も、彼女も、私だった。
    そうやって、私である人たちがまたこの娑婆で増えたような気がする。

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