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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/05/08 05:56:23

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    転会の証

    昨日、Y教会に転会するための証を語った。
    信徒会の雰囲気の中でなかなか語ることは難しかったが、
    これまでの歩みを語らせてもらった。
    母が亡くなり、父が亡くなった。
    私は、心の病となった。
    突然の腹膜炎の大手術・腹腔ヘルニアの手術。
    そして、椎間板ヘルニアからの坐骨神経痛。
    なんともはや、次々だったなぁ。

    それでもこうして生きている。
    いや、生かされて来た。
    私は、そんな私の来た道を語りながら、泣かないようにしていた。
    この人生を他人ごとのように語ろうと想った。
    恥ずかしいからみんなの前で泣きたくなかったからだった。

    ところが、父と母と妻三人が同時に入院して、
    私が介護休暇をとり、次男の面倒をみながら介護の生活をした話をした途端、
    どっと涙が奥の奥から溢れて止まらなくなってしまった。
    本当に涙とは、突然訪れるものだった。
    私は、ちゃんと静かに語りたかったが、涙で時々声がつまってしまった。
    涙で曇って原稿を読めなくなった。

    それは、何だかよくよく生きて来たねという、
    神様からの労りと、慈しみの想いだったのかもと、今は、想う。
    私は、そんな生活の中で家族を傷つけてしまう道を歩んでしまった。
    その最中には、私にはその意味がよく分からなかった。
    盲目とでも言うのだろうか、ただその想いのままに突き進んだ。

    私は、あの術後の痛みや、坐骨神経痛の痛みを実感を通して語ることができる。
    私は、心の病となり、生きる希望を失いながら闇の中で苦しんでいた。
    私は、自分の愚かさのために、家族を傷つけた悔いがある。
    私は、そんな私であっても、生かされている自分を実感している。
    何だか、私はみんなになるために、私を実感する旅をしてきたようだった。

    分かる。とは、分ち合える。ということだ。
    「痛みは、愛でした」と、私は実感をもって語れた。
    それは、本当のことだからだ。

    滂沱の涙は、私の涙ではなかった。
    大いなる愛によって流された涙だったと信じている。
    泣けるということは、まだ愛されているということだ。
    最後は言葉にもならない証だった。

    次は、この私の日々の生き方で証をしなければならない。
    これが本当に難しいことだった。

    仏教の教えにある。
    「布施」「愛語」「利行」「同時」それが、キリストの愛でもあった。
    ここからだなぁと、教会を出る時にそう感じた。
    「そういう人に、私もなりたい」

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