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  • from: クマドンさん

    2017年06月13日 06時12分50秒

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    わたしの中のみんな

    「すべてがわたしの中のみんなであるように
     みんなのおのおののなかのすべてですから」  賢治

    先週の土曜日のことだ。
    庭に大きな花壇を造った。
    その時、足場にするための小さなレンガが欲しくなった。
    土も足りなかったので、Kに行って買うことにした。

    大きなカートの中には、土の袋五つと堆肥の袋1つ。
    それに花のポットでいっぱいだった。
    私は、レジで支払いを済ませ、車の荷台に荷物を積んだ。
    あれっと想った。
    カートの底に三つの煉瓦がある。
    これってレジで打ってもらっただろうと・・・。

    家でレシートを確かめたら、やはり記録はなかった。
    カウンターの女性は、この土の袋の下の煉瓦に気付かず、
    私もすっかりそのことを忘れていたからだった。
    118×3は354円だった。
    私は、何だかとてもとても困ってしまった。
    庭の花壇にその煉瓦を敷いたが、尚更、そのことが気にかかる。

    「どうしようかなぁ・・・」と、その354円で気が重くなった。
    「どうってことはない」というわけには行かなかった。
    「このまま黙っていればいい」ということではないと感じた。
    そして、「毒もみの大好きな署長さん」も、みんなで読んだ。

    払いに行くことは、実は決めていたのだが、
    何だかそのことをする勇気がねぇ・・・。
    そんなこんなで、月曜日の仕事帰りに、Kに行った。

    どうやって話そうかなぁ・・・・と、少々不安な気持ちだった。
    「あのぅ・・・」と、レジの若い女性に声をかけた。
    「このレシートには・・・」と、事情を説明した。
    「すみませんでした」と、私は謝った。
    すると、彼女の顔がすっと笑顔になった。
    「えっ、そうなんですか。そのためにいらしてくださったんですか」
    とても嬉しくて、嬉しくてたまらないという感じだった。
    「いるんですね。仏様みたいな人が」
    と、私は、その瞬間、彼女にとっての仏様となった。

    もっと素敵なことは、あのどんよりと重かった心が、
    その支払いを済ませた瞬間に、すーっと軽くなったことだった。
    気持ちよいとすら、感じられた。
    「ありがとうございました」と、私は心から深々と会釈された。
    354円だった。

    わたしの中のみんなは、私の心に呼びかけてくれた。
    「おいおい、やっぱりお金は払おうよ」
    それはそれは、当たり前の道理だった。
    その道理が、その真実が、必ずこうした時には語りだす。
    「おいおい、どうする。どうする」と。
    私は、人生に何度かこうした選択を迫られることがあった。

    間違いを犯すこともあった。
    後悔することもあった。
    でも、何だか大局では、
    自分が損をしたり、責められたりすることは分かっていても、
    そっちの道を選択した。
    そこには、自分なりの誇りが在り、自分自身を尊ぶ気持ちも存在していたからだ。

    「あの時、あの道を選ばなくてよかった」と、想えることはある。
    それは、自分の誇りを捨てて、人に迎合したり、忖度したり、
    言いなりになる道を選ばねばならない時だ。
    それを選ぶと、仕事を失うことになる。
    それを選ぶと、左遷はまぬかれない。
    それを選ぶと、我が身が危うい。
    そんな岐路に立たされるのが、人生だった。

    実は、354円の問題ではないのだ。
    私が、どう生きるかの問題なんだ。
    ここで、ずるく、知らぬ存ぜぬでしらを切ったら、
    それだけの、その程度の人間として、生きる責めをずっとずっと、
    そのわたしの中のみんなから責められ続けることになるだろう。

    真実は、354円。
    その真実は、曲げられないし、消せはしない。
    在るものを、「無い」とは、言えないんだ。
    それを言った瞬間、そして、その嘘を言い続ける間、
    きっとわたしの中のみんなは、そのひとを軽蔑し、憐れむのかもしれない。
    そして、最も哀れな人は、その人そのものだった。

    どう想って、今朝を生きているのだろうか。
    わたしの中のみんなは、ちゃんとその人のことを見つめているはずだ。
    嘘をついているその人も、その周りの人たちも、
    そのことは事実だと知っている。
    それでも、「無い」と言い張る。
    それって、その人自身にとって、とてもとても悲しいことではないだろうか。
    いつも問われているのは、「生きるとは何か」だ。

    手に持って、読んだ文章は、この世からは消えることはない。
    その先、どう生きるか。
    もし、罪を犯したと想ったら、「ごめんなさい」と謝ればいい。
    もし、まだわたしの中のみんなの声に素直に従いたいと思うなら、
    「これは、事実です。ありました」と、言えばいい。
    ただ、それだけだ。

    みんなか見ている前で、平然と嘘はつかないでもらいたい。
    それは、人間としての誇りと、品性と、自尊心の問題なんだ。

    私は、あの瞬間から、すっきりとした。
    私もいろいろとあった。
    でも、そのいろいろは、私に、わたしの中のみんなの存在を実感させてくれた。
    それが、賢治のすごさだと、私は実感している。

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