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  • from: クマドンさん

    2017年06月18日 09時55分25秒

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    本物の先生とは

    腰に違和感がある。
    またまた椎間板ヘルニアの再発なのか。
    しかし、身体の声を聴くようになってから、
    無理をしないことにしている。
    とは言っても、自転車でのLSDだった。
    性分という者だろうか、自分のことを止められないのはどうしてか。

    さて、そのせいで今朝は、少し寝坊した。
    今は、何だか疲労感で、何もせずにぼっとしている。

    昨日の午後に、あるキックオフイベントに出かけた。
    「学校と社会とをいかにしてつなげるか」という問いだった。
    講師の先生たちの話から、いろいろと気付かせられた。
    「そうだ。そうだ」と、改めて想うことばかりだった。

    その中に、「自分からSOSを発信することの大切さ」が語られた。
    実は、高齢化社会となり、介護の時代が来てから、
    いろいろと苦しい生活を余儀なくされている高齢者が地域には多いのだ。
    しかし、その人たちは自分からは助けを求めない。
    お願いしますとは、人には頼らない。
    それは、その人たちの生き方でもあるからだ。

    しかし、今は、助け下さいと言いたくても、
    誰にその言葉を伝えたらよいのか分からない時代になっている。
    地域の高齢化が進み、全体の人口も減っている。
    単身で生活している人が5割近くにもなっている。
    隣近所とは日頃の付き合いはない。
    例え一戸建ての住宅に住んでいても、
    アパートかマンションの個室に住んでいるような状態だと言う。

    私も地域のお年寄りを戸別訪問して分かったことは、
    みんな人には言えないが、生活することに困っているのではないかと言うことだ。
    安心・安全が、住んでいる地域からなくなっていく。
    孤立・無縁社会とでも言うのだろうか。
    ここまでやっと生き延びてきて、
    最期はこの寂しさと辛さなのか。

    やっぱり今のうちに、何とかしなければならない。
    みんながそうすることはできないのだから、
    できる人。やれる人。やりたい人が集まって、話し合うことが大切だった。
    そして、これをやってみたらと想ったら、
    躊躇せずにまず、小さな一歩を踏み出すことだ。

    「やりながら考える」
    「結果や成果をすぐには期待しない」
    「失敗しながら学び続ける」
    そんな細やかなことからしか、大きな変革は起こらないのだと、
    お話しを聴きながら想ったものだった。

    そのためには、まずアセスメントだ。
    生活している高齢者一人一人の願いと想い、困り感とは何か、
    具体的に明らかにすることだ。
    次に、「対話」だ。
    二人でも三人でもいい。意識をもった人が集まって、相談する。対話する。
    そして、「これ、やってみませんか」と、
    ちょっと私たちでもできそうなことを、やってみる。
    ほんの細やかなことでいいから、「アクション」を起こす。
    これが、「協働」で活動することの意義だった。

    その活動をスパイラルに繰り返すうちに、
    初めは気付かなかったことに気付くようになるだろうし、
    方法を改善し、違ったものへと進化していくかもしれない。
    それは、始まりがあったからで、
    始まりが無かったら、変化はそこには存在しなかっただろう。
    つまり、これが「学びの深まり」だ。

    アクテブラーニングと言われている。
    私は、その起点に、「SOS」が存在していることに気付くことができた。
    「何とかしなければならない」「これでいいのか」
    その「問い」が、アクテブラーニングの学びの始まりだった。
    まさに、その「問い」がキックオフとなる。

    そして、互いに学び合い、改善の使命を感じている人たちに、
    それぞれの考えを出し合い、共有が行われる。
    その対話の中から、きっと何かのきっかけとなる答えは生まれる。
    対話は、その答えを「醸しだす」豊かな土壌となるはずだ。

    ただ、ここで終わっては、何も変わらない。
    次には、どんな細やかなことでも、アクションを起こして、
    目に見える。感じられる。具体にしていく。
    その時、対話する人たちに、「協働」という働きが生まれる。
    人は、身体で考えるものだ。
    身体で感じたことだけが、リアルな実感となる。
    その実感をもって行動できる人をどれだけ育てられるかが、
    教育の大事な大事な目標だった。

    学校は、「学力」でいい。
    この「実感」や「協働できる力」や「失敗に耐え、それでもやり抜く力」は、
    地域社会の中で初めて「醸し出される」ものなんだ。

    人は、独り独りそれぞれの一生涯を生きて行く。
    幸せになる権利は、全ての人にはあるはずだ。
    最期は、「生きてきてよかったなぁ」と想って息を終わりたい。
    そう生きられるように生き抜く力を育てる。
    そして、そう生きられる地位社会を形成する。
    学校と地域とは、実は、1つなのではないだろうか。

    その一つのの目標。
    「一人の生涯を生き抜き、幸せに生きる。幸せに死ぬ」
    そのために、学校が在り、地域社会が在る。
    その本来の目的に立ち帰れば、
    今の学校と今の地域社会とが進むべき道が見えるのではないだろうか。

    アクテブラーニングを本気で実践する大人たちが求められている。
    その人たちこそ、子どもたちにとっての生きるを教える本物の先生なんだ。

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