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  • from: クマドンさん

    2017年06月22日 06時08分52秒

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    トランスだね

    昨日、小千谷のSさん80歳と2時間余りの電話だった。
    腰に違和感が在り、痛みがあるので大事をとって寝たままでだ。
    どうしてこんなに語り合うことは、楽しいのだろうか。
    語り合いながら、私とSさんの区別が無くなる。
    不思議なんだが、そんな感じだ。

    「トランス」だねと、何だかそこに落ち着いた。
    Sさんは大阪のホリスティックの学会に土日に参加していた。
    その学会は、今回を最後に解散するそうだ。
    20年の長きに渡って、彼はこの会に貢献し続けた。
    「それは、何か」の「それ」を感ずるためだった。
    不思議なことだが、「問い」が生まれる時、
    その「応え」は既にそこには存在している。
    「問い」そのものが「応え」であるのに、
    そのことに気付くまで、「問い」は続く。「問い」はやまない。

    彼は、その「問い」の「応え」を求めて、東京に京都に大阪に行った。
    そして、学者さんや、大学の教授や、学校の教師に会う。
    話を聴くためだった。
    彼が心底知りたい「応え」を実感している人と出会いたかったからだ。
    その人と出会えば、きっとその出会いが言葉となり、
    それが彼がずっとずっと長年憧れ求めて来た「応え」になるはずと信じたからだ。

    しかし、頭で考えられたもの。
    学問として、語られる言葉。
    それは、彼の心を打つことはなかった。
    確かに、理論はそうだろうし、その意味をそうともとらえられるだろう。
    でも、それだけでなく。それとは何だか違うのではないのか。
    いつも、そこで語られる〇〇理論や、「俺が」の話に、
    違和感をも感じていた。

    「これではないんだよなぁ」と、
    ではいったい彼が求めているものは「何なのだ」
    不思議なことだが、その「何なんだ」は、
    彼を既に活かしている「何なんだ」なんだ。
    彼の彼は、だから、語られる言葉に違和感を覚える。
    「そうかなぁ」と、腑に落ちない。
    彼は、そこに居る。
    どこかかゆいところに手が届かず、その心の違和感の出所が見えてこない。

    そんな、彼が、あるインド舞踏家の踊りにただただ感じて涙を流したそうだ。
    きっとその没我の踊りには、無心であるという姿が見えたのだと感ずる。
    触りは細やかだ。その内に踊りが大きく育ち、揺れ動き、響きだす。
    踊っているのは65歳のインドの女性なのに、
    踊り手がいつの間にか消えて行く。
    では、ここで踊っているものとは何か。
    それが、彼の中の彼なのだった。

    彼は、涙が溢れて止まらなくなったと言っていた。
    私もそうだった。
    のべつまくなし。至る所どこでも。突然、涙にやられる。
    どっと溢れる。堪えられない。止まらない。
    だから、もうやめた。涙はそのままにすることにした。
    すると、本当にすーっとする。
    それは、鼓動のように、私はその温かさに、生きるを実感する。
    ああ、これって奇跡だなぁと。

    佐渡の鼓動の太鼓がそうだった。
    半径1.2mの大太鼓を、太い丸太の撥で叩く。
    腹の底を揺さぶられるような響きだった。
    全知全霊。
    まさに、その太鼓に二本の撥で身体いっぱいに立ち向かっていく男の背中。
    これって、祈りに他ならないな。
    そのうちに、彼が消える。
    そして、私も消える。
    音だけになる。
    音で一つに融けて行く。
    涙が、流れる。どうにもならない。みんな居るのに、止まらない。

    「没我」「無我」これが「無心」
    ただ、その「無心」に「心無心」だ。
    「無い」から「在る」
    だって、「在る」から感じて動き、その存在が露わなのだから。
    インドの舞踏家が露わにした何か。
    鼓動の太鼓で露わになった何かは、同じ何かなんだ。
    そして、その何かは、Sさんにも、私にも、全ての人にも存在する。
    その「はたらき」としての、「何か」なんだと、私は感じている。

    「没我」だから露わに現れる。
    それが、やっと、信じられるようになった。

    「トランスですね」
    「クマさん、トランスだったね」
    と、60歳と80歳は新潟市と小千谷市で同時に、今、ここで、笑った。

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