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  • from: クマドンさん

    2017年06月23日 06時18分07秒

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    HNKラジオ 人生を変える「声」の力

    NHKラジオ「こころを読む」で、
    人生を変える「声」の力を聴いている。
    偶然に出会ったこのお話しに、本当にくぎ付けになっている。
    「声」について語っている言葉が、
    何だかいつもいつもここに私が書こうとしている「生きる」になっている。
    「声」の話なのに、その話そのものが「生きる」となる。

    不思議だなぁと思いつつも、かくありなんとも合点する。
    光の当て方、焦点の違いはあっても、
    ものそのものは同じものなんだな。
    例えば、これが美味くて深いラーメンの味を作る話も、
    きっと同じなんだなぁと感じられる。
    「深いもの」には、ボーダーは存在しない。
    みんな一続きなんだと、改めてこの話を聴いて感じさせられた。

    どうして私たちが、正しく「声」を発音して、話せるのかの話だった。
    まず、音が存在する。
    今も、遠くで工場の音がずっと静かに響いている。
    ムクドリだろうか、大山台で鳴いている声が聴こえる。
    まず、その音の存在がなければ、無音なんだ。

    音があった。
    音が風を震わせた。
    その風を感じた。
    まだ、音に成っていない。
    その音を、だから、脳に伝える作用がある。「伝音」だそうだ。

    次に、脳に伝わって来たその信号を分析する。
    その音の種類によっては、たどり着く器官が違う。
    言語を理解するには、脳の言語野?にその信号が伝わり、
    その場所で「これは何だ」「何と言う意味だ」と、判定される。
    この作用を「感音」と言う。

    でも、ここまでなら、私たちは話すことはできない。
    つまり、話すためには、その自分が感じた音を、
    正しく私が発する必要があるからだ。
    それを、「聴覚フィードバック」と呼ぶそうだ。
    その時、私の肉体的な機能の力が発揮される。

    口の開け方・息の出し方・声帯の使い方・舌の動かし方・唇の閉じ方等、
    一つの正しい発音に対して、
    そうした無数の機能が同時に、瞬時に働いているから、
    その音が正しく「発音」される。

    もし、この三つの作用のどこかに、ジャーマー(疎外・障害)があれば、
    私は、正しくこの「あ」という音を発語できないのだ。

    まず、耳が聴こえることである。
    私は、生まれながらの右耳の難聴だ。
    そのことは、小学生になり聴音検査をするまでは分からなかった。
    だから、左耳を大切にしている。

    次に、生きて来たその経験の中で、その音の高低や響きによって、
    その音は何と言う音であり、どういう意味が在るのかを、
    感ずるだけでなく、考える力が求められる。
    もし、ここにジャマーがあったとしたら、知的に感覚的に障害があったら、
    その音は、その音として正しく認定されることはないからだ。

    そして、フィードバックだ。
    聴くことができることと、話すことができることとは、違う次元だ。
    その音の存在と意味とが分かったとしても、
    自分がその音を出して、話せるかどうかは、別の問題だからだ。
    これも意識的に一つ一つの機能を縦横無尽に働かせて、
    やっと達成できる至難の業である。
    もし、この機能のどこかにジャマーがあったら、
    正確にその音を発することは不可能だった。

    それから、最も大切なことは、
    そのフィードバックを何度も何度も繰り返すことだった。
    赤ちゃんが言葉を覚えるあれである。
    その時は、やはり発する自分の声を聴いているはすである。
    そして、自分の声と、正しい音とが一致しているかどうか、
    正しく判定する力が必要となる。

    そして、修正したやり方で、
    自分なりにちゃんと話せる能力も必要になる。

    つまり、ただ話す。「声」を出すということには、
    これだけの作用と機能と所作と意識と訓練とが必要だったんだ。

    「音」が在る。
    その「音」の通りに正確にその「音」を「声」として発する。
    そこに、人知れない宇宙の無限の働きがあるように感じた。
    自分では無意識であるが、
    そうやって、私は、「声」を獲得して、今がある。

    そうやって考えると、このお話し一つ一つが深すぎる。
    何だか、いつしか私は、「声」の話でもありつつも、
    私がいかに「生かされているか」の話となり、
    そのイデアである「生きる」と自分の「生きる」とを一致させ、
    自由自在になるためには、
    この「伝音」「感音」「聴覚フィードバック」の訓練が、
    必要だったのだと気付かせられていた。

    「音」は在る。
    果たして、私は、その「音」を正しく発しているのだろうか。

    この講座を、ぜひぜひ「声」と「いかに生きる」に興味がある方に、
    私から、勧めたい。

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