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  • from: クマドンさん

    2017年06月24日 07時14分04秒

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    痛みのひとこそ隣人に

    さてさて、腰の違和感が続いている。
    昨日は、職場の畳の部屋で横になった。
    じっとしていると何とか切り抜けられる状態だ。
    あの激烈な痛みは、もうこりごりだからだ。

    身体を労わる。
    それは、身体を壊した人だからすることだ。
    もし、坐骨神経痛を患わなかったら、
    きっと私は、こんなにも腰の声を聴かず、
    腰を労わることもなかったと思う。

    人は、痛みからしか学ばない。
    そう考えたら、私にとっては痛みはまさに人生の学校だった。

    地域において、私がすべきことはやっぱりある気がする。
    それは、痛みで平日、ここに生活していたからよく分かった。
    みんな、やっぱり年をとり、身体が衰え、心も弱くなっている。
    今朝、目を覚ましても、やることが何もない。
    行くところがどこにもない。
    来てくれる人も居ないし、一日誰とも話さない。

    そんな毎日だったら、どうだろうか。
    きっと寂しいことだろうなぁと、私は感ずる。
    それは、私がそうだったからだ。そうだからだ。

    70代・80代の地域の先輩たちを見る。
    あんなに若々しく活動していた彼なのに、
    今はすっかりと老人になってしまった。
    あんなに美しかった彼女が、
    やっぱりそれなりに衰えを感ずる。
    その先は、どうなっていくかは、全く自然の成り行きだった。
    そのまま、身体が動かなくなり、生活もままならなくなり、
    日々の食事にも辛い想いをしなくてはならなくなるだろう。

    それは、いつかやって来る私の姿だった。
    彼も、彼女も、吾なんだ。
    そこのところに、若い時には気付くことができないものだ。
    いつまでもそうやって元気に、ばりばりとやれると思う。
    それが、全く錯覚であり、幻影であるとはしらないだ。

    突然の病もある。
    脳梗塞での半身不随等の、身体的な障害を負うこともあるだろう。
    もし、寝たきりの状態になったらどうだろうか。
    まず、経済的な心配は当たり前のように起きて来る。
    仕事ができない。お金がない。食べる者がない。頼れる人が居ない。

    でも、これって特別な例ではなく、
    今のこの地域社会では、当たり前のことになってきている。
    なのに、みんなは、自分とはかかわりのないことと、
    見て見ぬふりをする。
    私も、そうだった。

    痛みとは、自分ととことん向き合うことだと、ラジオの人が話していた。
    孤独である。引きこもりである。
    その人ほど、自分と深く深く語り合っている人は居ない。
    痛みや孤独や引きこもりは、
    きっとその人を人として深くしてくれる大事なものだ。

    病気をしたことのない人。
    孤独で辛い想いをしたことのない人。
    引きこもりをして生きることへの希望すら失ったことのない人。
    その人は、何だかとても薄っぺらで、
    確かに、人生の襞がないように感ずる。

    痛みや孤独は、人が人となるための味噌樽である。
    きっとその中に理不尽にほうりこまれ、醸されることで、
    何かが発酵し、何かが生まれ、何かが変わる。
    味が深くなり、まろやかになるのは、その長い年月の醸造による。

    そして、その人をこくのある人にするためには、
    たくさんの触媒である、発酵菌が働いてくれる。
    その目には見えない微生物にこの世は満ちているし、
    その働きを今でも、私は感じて生きている。

    するとなんだなぁ。
    見過ごしにできない人が、出来上がるのは。
    その深くこくのある人は、傍に居る人たちの苦しみや哀しみが、
    どうしても我が事のように感じて、見過ごせなくなってしまうのだ。
    その感覚は、きっとそうである人たちだけには分かる感覚だ。
    「われわれ」とでも言うのだろうか。
    「同胞」「はらから」とでも言うのだろうか。
    それは、私と人とのボーダーが存在しなくなる感覚だった。

    今、地域社会に求めらている人は、その人なんだ。
    だから、本当は、逆に、その助けの必要な人ほど、
    困っている人の傍に立ち、その人の真の隣人となれる人だと、私は想う。

    その人こそ、地域社会における大事な人なんだ。
    福祉を必要とする人は、最も福祉を為せる人である。
    そんな発想の転換をその人たちひとりひとりができたなら、
    この小さな町内の地域社会は、
    もっとみんなが住みやすく、安心・安全を感じられるまちとまる。

    そんなまちにするために、
    この痛みの人、病の人、孤独な人、引きこもりの私は、
    動きだそうと考えている。

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