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  • from: クマドンさん

    2017年07月30日 10時16分33秒

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    尊厳を尊ぶ

    介護の初任者研修だった。
    今まで父や叔母の介護の件でかかわってはたことが、
    何だかここでやっと納得することができたようだ。

    介護の課題は、きっと全ての人にとっての大事な課題だ。
    今、その現場で働いている若者や、中年の人たちにとっては、
    その現場で働きながら、切実に迫って来る課題だと感じた。

    ターミナルケアという考え方がある。
    死を看取るということだ。
    介護の最期は、ここに行きつくのだと想う。
    安らかに、穏やかに、感謝しながら、人が逝けたら、嬉しい。
    そのためには、その人の尊厳を認め、その人の力が発揮される支援を行い、
    その人との出会いをお互いの喜びとする支援する人が求められる。

    私は、講師のベテランの女性が話す、その経験談に興味を持った。
    彼女は、特養にまた復帰したいと言う願いをもっていた。
    3Kのイメージのあるその職場は、
    彼女にとっては生きがい・働きがいを感ずる場所だと言っていた。

    いろいろな人と出会える。
    いろいろな人生と出会える。
    いろいろな生き方・考え方と出会える。
    そして、いろいろな最期と出会えて、自分自身の学びとなった。
    その人と触れ合いながら、自分が成長していくことを感ずる。

    それは、知識ではなく、実感を通してのリアルな自己の深まりだと感じた。
    私は、講義を聴きながら、
    「介護とは、介護を必要としないことを目標にすべきなんだ」と、考えていた。
    その人が、生活援助を受けながらも、
    その人がやれることを、自分でやり、
    できることは、自分の力でやり遂げる。
    その潜在的な可能性や力を失わせてしまう介護は、
    本当の介護にはなっていないということだ。

    それから、
    「介護する人は、介護される人から学び、自らの成長とする」と言うことだ。
    私は、もう20年以上前だったか、特養に一日だけの実習に行ったことがあった。
    その時だ、認知症のお婆さんが車椅子に乗ったまま、
    介護者に何か大きな声で怒鳴っている場面を見た。
    怒鳴られていたその女性は、にこにことして「はいはい」と穏やかだった。
    同じように認知症のお婆ちゃんは、
    車椅子に座ったまま、風呂上がりの髪の毛をドライヤーで乾かせてもらっていた。
    これがとても気持ちよさそうで、うとうとしていたことが印象的だった。

    私は、この人たちの存在すら、その日まで知らなかった。
    というか、こうして認知症になり、
    何を言っているのか、どうしてもらいたいのか、
    全く分からない人たちの人生を、すっかり私は忘れていたのだということだった。

    私の父も母もその時は健在で、親戚にも認知症の高齢者は誰もいなかった。
    だから、私は、その人たちの存在を実感として感ずることはできなかった。
    しかし、彼も、彼女も、ここで、こうして生きている。
    その人は、その人の人生を全うしようと、ここに居た。
    私は、何だか私には知らない世界ばかりのような気がした。
    知らないということは、感じないもので、考えないものだ。
    私は、彼と彼女を知らないことをいいことに、
    ほったらかしにしてきたことを、何だか感じた。

    おいおい、クマさん。それで、いいんかい?
    それは、たった一日だけの実習生には、どうにもならないことだった。
    そう感じたとたん、どれだけの人たちが、
    こうした状態で、日本中の、いや、世界中の特養にいることだろう・・・・。
    そして、その姿は、未来の私の姿なのかも知れない。

    つまり、その怒鳴っているお婆ちゃんや、紙を乾かしてもらっているお婆ちゃんは、
    誰でもない、きっと何十年後の私なんだと、その瞬間から感じられた。
    だから、みんな一度は行った方がいいんだな。
    この特養に。
    きっとそこで、人生観の新たな転換と、深い深い気づきが与えられるだろう。
    講師の彼女は、それに気づき、そこに自分の存在感と使命感を感じた。
    彼女は、その人たちの傍らに居る人として、選ばれたんだ。きっと。

    私は、90歳の寝たきりのお婆ちゃんにゼリーを食べさせるお仕事を言われた。
    私は、その意識の無い、しわとしみだらけで、骨と皮のそのお婆ちゃんに、
    一口ずつゼリーを食べさせながら、何だか、本当に何だか、
    このおばあちゃんの苦難の人生に頭が下がり、
    何だかとてもとても尊い人に出会ったような、
    深い深い感動に包まれた。
    人は、生きていることだけでこんなにも偉くなれるんだ。

    それは、身寄りもなく、貧しい1人のお婆ちゃんたったかもしれない。
    でも、とてもとても人としての偉大さと尊厳を、私は感じた。

    「人は、生きていることだ。それだけで、充分なんだ」と。
    あのお婆ちゃんには、私は教えられ、その教えは今も、この胸にある。

    さて、出かける時刻だ。また、帰ったら書いてみたい。

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