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  • from: クマドンさん

    2017年08月20日 13時51分03秒

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    介護する人、される人

    やっと少しだけ、平常に戻ったようだ。
    久しぶりのお日様だ。
    無理せずに、日曜日の午後なのに、家でのんびり過ごすことにする。

    昨日、介護職員初任者研修の第3回目だった。
    土曜日の9時半から4時半まで、びっしりの講義だった。
    ベテランのケアマネの女性が講師だった。
    経験から語られる一つ一つの事例は実に、リアルで、深いものだった。
    私のグループの男性たちは、20代後半から30代前半だった。
    私を含めて5名でのグループワーク。
    全員で20名余りの教室の中で、私が最年長者であった。

    介護についてみんなは学びに来ている。
    学んだことを生かして、資格を取得して、現場に入る。
    既にディーサービスや、グループホームで働いている人も多い。
    そんな中での、還暦の私の学びだ。

    私にとって、介護とは、他人ごとではなく、自分事だった。
    そこが、他の若者たちとは絶対に違うところだ。
    みんなはどう介護するかを、介護する側から学んでいる。
    でも、私は、あの手術で目だけしか動かせない状況を経験しているから、
    その利用者さんと呼ばれている人は、
    私のことなんだといつも思いながら話を聴いている。

    みんなは、忘れている。
    人は、自分のほんの先の人生がどうなっていくかは、誰も知らないということを。
    一瞬にして、死ぬことすらある。
    突然、心臓発作や脳梗塞で、一命をとりとめても、麻痺が残り、
    身体が不自由になることもある。
    事故や災害で、突然、命を失い、
    または、障害をもったまま生かされることもある。
    その人とは、私であるかもしれない。
    そんな意識で介護することが、大事なんだと私は想っている。

    する人と、される人ではない。
    する人は、いつかされる人なんだ。
    その立ち位置の違いが、やっぱり若者と還暦の私にはあるような気がする。
    しかし、私が、あれほどの医療過誤で一命を危うくし、
    自分の身体をもって蘇生を経験していなかったら、
    私も、きっとあの若者たちとは変わらなかったかもしれない。
    だから、あのことは、私にとっての幸いでもあったんだ。

    今は、足の不自由な高齢の方が歩いていれば、それは私だと想える。
    手押し車につかまりやっと歩いているお婆ちゃんは、いつか行く私の姿だ。
    失語症や認知症についても学んだ。
    言葉が出ない。相手に自分の意志を伝えられない。
    その切なさを私は病院で経験した。

    おむつの交換は、私にとっては恥ずかしいことだったから、
    自力でのトイレでの用便を希望した。
    しかし、立つことすらできなかった私は、
    看護師さんに両脇を抱えてもらい、トイレに連れて行ってもらった。
    便座に座ると、踏ん張れないから、両ももの裏が押されて痺れた。

    10センチ先にあるものをとれない。
    腕を上に上げることも、伸ばすこともできないからだ。
    コップを持てなかったので、みんなお手伝いしてもらわねばならなかった。
    水を飲みたくても、看護師さんが忙しそうなら、我慢する。
    点滴の交換や、何かのついでに、「あの・・・」と、お願いする。
    声を出せなかったときは、ただ眼を動かして合図するだけ。
    ホワイトボードに、1 痰が詰まる 2 寝返りをしたい 3 水を飲みたい・・・
    と、書いてもらい、番号を指で示して、願いを伝えたこともあった。

    つまりだ。
    その日までは、何事もなく、ちゃんと一人で出来ていたことが、
    全くできなくなり、
    手助けがなければ、生きることもできない状況に置かれてしまうことは、
    誰にでもあるのだということだった。
    そのことを、忘れている。
    そのことは、他人事だと勘違いしている。
    そうではない。
    その人は、私なんだと、
    そう想わない限り、心も、魂も、こもらない介護になってしまうということだ。

    しかし、それは、そうなった人にしか分からないことだろうなぁ。

    これからまだ12回の講座がある。
    私は、身体が不自由で、生き死にから蘇生した経験を持っている。
    だから、利用者さんの気持ちは、自分のことのように、感じられる。
    その人になれる。その人の気持ちに自分の気持ちを置き換えられる。
    これって、とてもとても大事なことだったのだと、
    講義を聴きながら、改めて想っている。

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