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  • from: クマドンさん

    2017年08月22日 06時29分25秒

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    生き継ぐ

    さてさて、50歳代もあと6日間となった。
    よくまぁ、この日が来れたものだと、
    吾ながらの感動だった。

    昨日は、プチ電車の旅だ。
    東新津の「花水」まで出かけた。
    平日の温泉は、ゆっとりしていて実に気持ちよかったな。
    平日に休むことはなかった。
    ところが、引退すれば、毎日が日曜日となる。
    湯上り処で、ごろんと横になってい団塊のおじいちゃん、おばあちゃん。
    それが、いつかの私の姿だ。

    ただ、生きている。
    いや、ただ生かされているだろうか。
    人は、何の為に生きているのかではなく、
    生きるとは、何かの問いなんだな。
    その問いに、どう生き方そのもので答えて行くのか。
    ある日の研修ではっと気づいた「応答」だった。

    そうなんだな。
    私は、その内なる声に呼ばれてここまで生かされて来た。
    その内なる声は、どんなことを私に語ってくれているだろうか。
    その声に、耳を澄ます。
    その声に、ただ静かに心を傾ける。
    いつか、きっと、その声が、声として聴こえる日が来るはずだ。
    そんな、いつかを信じている。
    それって、とてもありがたいことではないだろうかと、
    ふと、気付いた。

    不思議だなぁと、よくSさんと話をする。
    この不思議だなぁで、全部が治まる。
    この不思議だなぁで、振り返って見ると、みんな繋がる。
    ばらばらだったことが、一つの物語になる。
    ああ、そうか。そうだったのか。
    あのことは、このために、このことに気付くためにあったんだなぁ。

    人は、自分の思いで生きているとばかり思っている。
    本当は、全然違っていることに気付かないままだ。
    私が、想って行ってきたことは、本当にたかが知れている。
    ろくでもないことばかりだし、どうにもならないことばかりだ。
    あれもやった。これもやった。
    それを覚えているは、私独りだ。
    だから、そんなことはもうとっくに、どうでもいいことなんだ。

    「今、ここ」に、きっと何かがあるはずだ。
    「おいおい、クマさん、クマさん、あのね・・・・」だろう。きっと。
    そう呼ばれたら、ただ「はい」と返事して、
    その言葉のままに生きられるか否か。それだろうな。きっと。

    露天風呂でじっとしていた。
    サウナでもじっと耐えた。
    瞑想風呂でも、泡の影をずっと見ていた。
    黙って、何も言わず、独りで、そこに居ただけ。
    言葉は、聴こえてはこなかった。
    でも、不思議に、何かを信じている自分がそこに息をしていた。

    信じられたら、それはとてもとてもすごいことなんだ。
    私は、60歳を手前にして、
    「信じています」と、はっきりと言える。
    それは、向こうの方から、まだまだと言う声は聴こえるが、
    不思議なのだが、信ずることができることに、感謝、感謝だ。

    全ての命は、衰え、老いて、死に向かう。
    でも、信ずることで、そこで終わりではないことを信じられる。
    死は、途中なんだ。
    死は、あるプロセスに過ぎない。
    その、不生不滅なるものに、今、ここで、還ることが、生死事大 見性成仏だ。

    おいおい、それより大事なことは、この世にはないんだよ。
    それが、私の内から呼びかけてる声であるのかもしれなかった。
    生き死にを明らかにすること。
    そこに、落ち着くこと。
    そうあるなら、そうあるがままに生きること。
    それって、とてもとても大事な生き方なんだと、
    この歳になって、改めて分かった気がした。

    ただし、明徳に成り切れないんだなぁ。
    いつも、わさわさと欲があり、わさわさと煩悩が生まれ、
    どうにもならない恥ずかしい自分自身が姿を現す。
    そうなんだなぁ。そこに、何だかねぇとの想いが生まれる。
    でも、でもだ。
    それでも、「大丈夫」という声が聴こえる。

    こんなどうにもならない私であっても、
    どうにもならないから始めれば、
    きっと大丈夫な生き方もあるはずなんだな。

    今朝、読んだ紀野さんの「いのち」に書いてあった。

    「我不愛身命 但惜無上道」法華経 勧持品

    「我、身命を愛せず ただ無上道を惜しむ」と、読む。

    そんな生き方を、「生き継ぐ」のだと、紀野さんは呼びかけてくれた。
    「無上道を生き継ぐ」
    まず、私が、どう生きるかなんだなぁと、
    この言葉との出会いを感謝している。

    言葉とは、生き方そのもののことなんだなぁと、改めて感じた。

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