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  • from: クマドンさん

    2017年08月24日 06時32分48秒

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    諸先輩たちの「言葉」を聴く

    飲み過ぎは、身体に応える。
    本当に胃腸が弱くなっているようだ。
    昨日の朝は、少々応えた。
    むかむかとして、気分がどうもすっきりとしなかった。
    前夜に盆踊りに向けて、飲み過ぎたせいらしい。
    いや、そんなには飲んでいなかったのだが、
    やっぱり体調は、正直だ。

    老人ホームの人たちだった。
    踊る私たちのことを、車椅子に座って、じっと見ていた。
    その眼差しの深さに、何だか心を正されるような気がした。
    どんな人生を生きて来られた人たちなのだろう。
    きっと多くの試練や哀しみや、苦しみを経てここに到っているはずだ。

    みんな人には言えない何かを必ずもっている。
    そのことに気付いてから、私は生きることが楽になった。
    私だけがということは、一つもなかった。
    みんなではなくとも、誰かが同じ悩みをもって生きている。

    悩みの無い人は居ない。
    苦しみの無い人は居ない。
    哀しみの無い人は居ない。
    それが、この世で生きるということだ。

    だから、聴いてみたい。
    教えてほしい。
    どのようにして生き抜いて来られましたかと。
    どんな哀しみを受け、どうやってそのことを受け入れ、乗り越えて来ましたかと。
    どんな罪を犯し、そのことはどうやって赦されましたかと。
    今、ここで、何を信じて生きていますかと。

    本当は、生きることの偉大な先生が、この人たちなんだな。
    「人生フルーツ」を観て、津端さんご夫妻に出会って、
    私は、改めて、そのことに気付かされた。
    生き抜いて来るには、やっぱり生き抜くだけの知恵がある。
    その状況に置かれたら、置かれたなりの心構えや、
    きっとベタァな生き方の選択があるはずだ。
    それを、もっともっと若い人たちは、聴くべきなんだ。

    飲み会で、畑の作物の話になった。
    すると、やっぱり諸先輩は、経験知で語ってくれる。
    何年間も実地で実験し、何度も失敗し、あれやこれやを試した結果、
    その経験知は何をどうしたらよいのかを物語ってくれる。
    まさに、不動なる真実の「言葉」だった。

    生きるとは、考えることであり、工夫することである。
    どうしたらよいのだろうかの連続が、この生きることなのかもしれない。
    そんな場数を諸先輩たちは、どれだけ踏んで来たことだろう。
    そして、いろいろと考え、工夫して、その課題を克服して、乗り切って来た。
    その生き延びて来た体験こそが、肥やしとなって、
    その人たちの人間性を輝かせている。
    語る言葉のある人は、しっかりと自分を見つめて生きて来た人だ。

    あのホームの人たちは、まさに私にとっての人生の先輩であり、
    いかに生きるかの師でもある。
    だから、踊りながら、何だか、とても、話を聴きたくなった。
    話を聴くだけでいい。
    ほんの些細な話でも、そこにはその人の生き様や、人生観が滲むはずだ。

    「生きてみないと、分かりませんね」と、90歳の女性二人の会話だった。
    「年をとると、人生がもっと美しくなる」とは、津端英子さんの言葉だ。

    みんな諸先輩たちは、自分の人生を生きてみて、
    もうすぐその役目を終えようとしてみて、
    つくづく語れる「言葉」が必ずあるはずだと、私は信じている。
    私自身、このどうにもならない生涯を終えようとするとき、
    「ああ、生きるって、こういうことだったなぁ」と、
    何かにやっと深く気付き、そのことに思い至り、
    やっと発見できた喜びに満たされながら、
    一つの「言葉」を呟きたいものだと想っている。

    その「言葉」に出会うために、今、ここに、生きているようなものかもしれない。

    だから、その「言葉」に気付き、
    その「言葉」を深く日々味わっている諸先輩たちに、
    その「言葉」の意味を教えてもらいたなぁと、
    そう想っている。

    私が出来ることは、その「言葉」と出会い、
    その「言葉」をこうして記録に遺すことだけだ。
    そのことなら、私でもやれるのではないかと、考えている。

    胃腸だけが弱っているのではない。
    私は、来週の月曜日で60歳となる。
    いよいよなんだ。
    ゼロにリセットされる。
    そこから始まる自分の人生は、始めから意識的に生きられる自分らしい人生だ。
    そこからどんな円環運動が始まるか。
    知るのは、神のみである。

    ただ、「任せよう」「委ねよう」「受け身であろう」「信じよう」は、
    日々の修業として続けようと想っている。

    どうやって諸先輩たちの「言葉」と出会おうか、
    只今、思案をしているところだ。

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