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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年08月28日 06時52分38秒

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    再誕。60歳の誕生日。ここから、始める。

    さて、8月28日。私の60歳の誕生日だ。
    よくぞここまで生きて来られたものだと、感謝している。
    再誕だ。
    でも、何も起こらず、何も変わらない。
    それでいいし、それしかないのだろう。

    昨日、悲しいことがあった。
    民生委員として私が担当している80代の女性が、
    7月の末に、熱中症で自宅の部屋で亡くなっていたそうだ。
    私は、何だか、とても、申し訳なく、何とも言えなくなってしまった。
    ちょうどお見舞いを届けるために訪問したら、
    ご長男の方がいらした。
    「今日は、母の49日なので家に居ました」とのこと。

    教会で、讃美歌を歌いながら、涙が溢れて、困った、困った。
    私は、二度くらいしかお会いしたことがなかった。
    いつも気にはしていたが、訪れてはいなかった。
    もう、その人とは会えないんだ。
    そして、たった独りでの死を迎えさせてしまったんだ。
    どんなに辛く、寂しかったことかと、ただ想う。

    人は、無力なものだった。
    でも、彼女は独りぼっちでも、生活が苦しくても、
    そうやって生きていた。生きて来た。
    何だかねぇ。何ができるか。何をしてやれるか。
    本当に、これからの人生は、これに尽きる。自分はいらない。

    この曇り空を見る。
    風はすでに秋の風。何だか肌寒く感ずる。
    ああ、季節はちゃんと廻っている。動いている。移り変わっている。
    変わらないものは何も無く、
    全てのものは変化する。
    そんな変化の中の私。
    私も、日々、私に与えられている時間が流れ、次々に消え去って行く。
    でも、私は、ここにまだ居る。
    だから、秋をこうして肌で感じる。

    どう生きたらいいのかねぇ。
    昨日、沼垂のラジオだった。
    亡くなった人たちからの言葉だった。
    山小屋の主人森田さんは、きっと今でも見守っていてくれるに違いない。
    居なくなった人は、きっとここに居てくれる人となっている。
    その声は、聴こうと心を傾ければ、
    自分自身の声として聴こえるのだと、想えるようになった。
    まさに、それは「無声呼人」だ。

    魂の中の私。
    私が何もしてあげられずに、独り逝ったかのTさんも、
    何だか、本当に、私のことを励ましてくれる声となった気がした。
    不思議なんだな。
    こうあらねばならないが、無くなってしまうと、
    ただ、今、ここの、素直な自分だけでいいという感じがする。
    そう思い込んできた私ではなく、
    そうであった、ずっとずっとそうであり続ける私とでも言うのだろうか。
    その私で居ると、この声無き声が聴こえるような気がするんだな。

    それは、私だ。
    何も違うものでもなく、個別に別々にあるものでもない。
    それも、私だし、それが、私なんだ。
    別々であるように見えるだけで、本当は一つなんだ。
    そう感ずると、あのアゲハ蝶の語りかけも聴こえるような気がした。
    不思議だなぁ、それがいい。
    あっ、そうか。そうだったんだ、それがいい。

    亡くなったTさんも、森田さんも、母も、父も、
    ちゃんと今、ここに、私の内に居てくれる。
    人は、どうしても独りにはなれないんだ。
    だから、私は、どんどん独りになっていったような気がする。
    独りで想うと、母にも、父にも、私は会えているような気持ちになる。
    その時の私は、何も考えていない素直な私だ。

    その私で、ここで生きると、不思議だなぁで、感ずるものばかりとなる。
    庭に居て、一日中いたとしても、私は飽きない。
    それは、向こうから不思議だなぁを、次々に感じさせてくれるから。
    昨日は、水をまきながら尻尾の青い小さなカナヘビと話をしていた。

    何だろうねぇ。
    この不思議だなぁを、信じられる。
    この不思議だなぁに、浸って生きられる。
    それが、きっと私の再誕の意味だったのかも知れないと今は、想う。

    どれだけ末那識の「俺が、俺が」と「ほしい、ほしい」で生きて来たことか。
    今でも、迷うし、苦しむし、怒るし、心を乱れるしだが、
    それでも、やっぱり、不思議だなぁに戻れることは、
    在り難い生き方だなぁと、そう生きられるようになったことを感謝している。
    不思議だなぁに、リセットする。
    不思議だなぁを、ベースに生きる。
    いや、不思議だなぁ、そのものとなる。そのものである。

    とにかく、泣くようになったな。
    すぐ涙が溢れる。
    涙で目を充血させ、瞼が腫れて、人に会うのが恥ずかしいこともある。
    昨日は、教会でHさんに祈ってもらいながら、声を出して泣いていたな。
    涙が自ずから出ている内は、
    私はきっと不思議だなぁを生きている証だと信じている。

    その声が、私に呼びかけている。
    「利他」と。
    「捨ててこそ」と。

    今日からも、きっととぼとぼと歩き続けるだけだろう。
    でも、いつも不思議だなぁの道を、歩きたいと、
    60歳の誕生日の朝に想った。

    「生きているって、不思議なことだったんだなぁ」

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