新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2017年09月27日 21時43分39秒

    icon

    言うことは、できない

    「人はそれで在ることはできる。だが、言うことはできない」

    どう在るかしかないなぁと、想う。
    どう在るかを問うている。
    その問いの視点は、私ではなく、仏様だ。
    その仏が生きる。

    私が、私を生きるのは、もうやめにしたい。
    いいではないか。
    ここからは、私ではなく、仏に生きてもらえばだ。
    全てのことは必然で、意味が在る。
    そのことを信じられるようになってから、
    そうだったのかと、分かったのは、
    「まさか」とは、こうして平穏無事に生きている今、ここのことだったんだ。
    「まさか」ばかりが人生だと、想って、
    その「まさか」ばかりを生かされてきたが、
    ふと、改めて想うと、今日、ここで、こうして生かされていることこそが、
    「まさか」だっんだと、通勤の車を運転しながら気付いた。気付いた。

    何事もなく、こうして、酒を飲み、
    虫の音を聴きながら、この言葉を語っている。
    さっきまで、「ためしてガッテン」を観ていた。
    そして、「ハートネットTV」で自閉症の世界を感じていた。
    そして、今は、感じたことを言葉にしている。

    ありがたいことだった。
    視点を変えて、向こう側から、今、ここを観たら、
    ここにあるものだけで、充分であり、豊か過ぎると、そうも感ずる。
    死んだ後で、この日を思い出したら、
    「ああ、あの日に帰りたい」と、切に願うのではないだろうか。

    任せたんだから、全部を委ねたんだから、
    とやかく言うなだ。
    昨夜、シネウインドで「阿賀の記憶」だった。
    もし、鬼籍に入ったとしたら、
    今日、ここでの出来事は、全て記憶の中のオマージュだ。
    しかし、今は、記憶にはなっていない。
    リアルにして、ここに在る、今、ここだ。

    最近、「味わう」という生き方に素直に従おうと想って生きている。
    「考える」ことも大事だし、「語る」ことも大事なことだ。
    でも、まず、その前に、黙って「味わう」こと。
    これって、私がずっとずっと忘れていた生き方ではなかったかと、
    やっと気付いた。嬉しかった。だから、黙っている。ただ、味わっている。

    その何もない時間の流れの中で、
    まるでどっぷりと気持ちよく湯船につかっているように、
    ああ、極楽極楽って、言いながら、歌の1つも歌いながら、
    「いかったなぁ」「おもっしぇかったなぁ」と、ただたゆたう、漂う。
    それが何になるか。
    それがどうだとは、別に言わなくてもいい。
    それは、それで、そのままで、いい。

    その漂泊感とでも言うのか、どうでもいいではない感とでもいうのか、
    そこんところが、何だか、実に愉快で、楽しい境地だ。

    人からどう想われようとも、どうでもいいこと。

    人には、何だか、余計なおせっかいだと想われるくらい、
    何だかやってみたいと想えること。

    「まぁ、いいか」「どうでもいいな」「いい加減に生きようかな」と、
    全く不真面目に、ただの酔っぱらいで日々を生きること。

    時には、感情的になり、怒りや腹立ちも感ずるが、
    いや、待てよ。
    まずは、このさざ波を静かに収まるまで待とうではないかと、
    その感情のままに、この身を任せないこと。

    左足にはまだ若干の痺れあり。
    腰は、中途半端な完治のまま。
    いつ、また、椎間板ヘルニアを発症してもおかしくはない。
    そんな不安定な身体の状況こそ、至極自然なんだと、諦めること。

    餅屋の加藤さんも、船大工の遠藤さんも、棚田を耕す斎藤さんも、
    今は、すっかり鬼籍の人だが、
    それを記憶として映像を遺した張本人佐藤真さんも、鬼籍の人となっている。

    どう生きている人たちの心に、想いに、形見を遺すか。
    これからは、そんな生き方しか在り得ないと、私が私に語っている。
    あの小千谷の大谷さんは、今も、ここに生きている。
    あの重厚で、渋くて、温かく、不思議に人の心を開かせる人柄は、
    まさに大谷さんの「徳」だったに違いない。

    私は、大谷さんに出会った。
    紙すきの百姓の小林さんにも出会った。
    そこで、私は、私と出会った。
    そういうものだ。

    その結果、目覚めてしまったら、仕方ない。
    ただ、人のことなんぞ気にせず、わき目もふらず、ただ只管、その道だけを行く。
    その道こそ、大道であり、ど真ん中の道だった。
    そこに立ち、今、ここで、そこを歩いている自分に気付いたなら、
    いいではないか。
    これからどんなことになったとしても、それは、それだ。

    ただ、この道を離れては、つまらない。
    とにかく、独りぼっちなんだから、それでいい。
    この道を、淡々と、粛々と、喜びをもと、味わいつつ、歩く。

    生きるとは、その道を選んで、迷わずに、だ只管黙々と歩くこと。

    そして、細やかな何かを感じて、その在り難さを味わうこと。

    言うのは、そのずっとずっと先だ。
    言葉そのものが、こうして語りたくなったら、語らせる。
    語ってもらう。
    私は、その語りをここに記すための自動機械であればいい。

    欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑ってい。だな。

    今朝、少し寝坊したから、ここに語れなかった。
    しかし、酔っぱらってこの睡魔に襲われながら、
    やっぱり言葉は、語りたがっていたとみえる。
    こんなふうにして、言葉を紡ぐことが私は、大好きだ。
    とめどなく湧き出る言葉だ。

    初めに在ったその言葉の、僕となる。

    しかし、未だに、真人が語ろうとする言葉にはなり得ない。
    首皮一枚。まだまだ、遙か彼方だ。
    それでもだ。「在る」ことはできるようだ。

    「人はそれで在ることはできる。だが、言うことはできない」

    だから、生きるは、面白い。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件