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  • from: クマドンさん

    2017年10月04日 06時14分12秒

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    阿賀に生きる仏様たち

    「阿賀に生きる」は、不思議な映画だ。
    私は、この映画が上映されるたびに、観に行っている。
    何度も、何度も観たとしても、
    その度に、何かの気付きが与えられ、感動がある。

    先日、ラッシュフイルムの上映会にシネウインドに行った。
    驚いた。
    最前列、私のいつもの指定席の横に、Nさんがでかい身体で座っていた。
    彼は、大学を出てからある菓子メーカーに就職をした。
    その時、彼の同僚であったYさんが、突然退職し、山の中に入り、
    何だか映画に携わっているとの話を聴いた。

    そこで、かれもその現場に行き、その合宿所である山奥の民家で暮らした。
    何ともすごい人たちが世の中にはいるものだ。
    何とも本気になって映画を創らんとする人たちもいるものだと、
    彼は、ある衝撃を受け、彼もまた、その会社を退職した。
    そして、彼は、採用試験を受けて、新潟県の中学校教師となった。

    彼を、この道に導くきっかけとなったYさんは、
    今もその民家で、こつこつと木地師をやっている。
    器を作り、食器を作る。
    形の無い木から、形あるものを彫り出す仕事だ。
    彼の人生も、「阿賀に生きる」のスタッフとなって、変わった、変わった。
    不思議なことだが、全く想像もしていなかった今である。

    Mさんがも20代で東京から放浪して来た。
    偶然は、必然であるが。この映画の製作スタッフとしてかかわることとなった。
    放浪者には、家賃と食費のいらないこの合宿所は天国のようなもの。
    日々、寝食を共にしながら、酒を飲み、撮影に奔走した。
    しかし、あまりにもやばい現場なので、
    ある日、怖れをなして逃げ出してしまったそうだ。
    それは、前出のNさんも同じだった。
    当時のカメラマンのKさんが、めちゃくちゃ濃く、圧倒的な迫力だったらしい。
    彼は、今、新潟を拠点に、写真家の生業だ。
    不思議なことだが、彼もまた、全く予想すらできなかった今である。

    シネウインドの支配人のIさんも同様だった。
    彼が新潟に就職した頃、既にこの映画は完成し、試写を行っている段階だった。
    彼もまた、この映画に魅せられ、魂を奪われた一人となった。
    やっぱり、みんなと同じようにその生き方に大いなる「問い」が生まれ、
    せっかく就職していた仕事を辞めて、シネウインドのスタッフの1人となった。
    美しい奥様と結婚し、映画館の支配人と成り、
    この「阿賀に生きる」特集を行い、その映画を解説していた。
    不思議なことだが、彼もまた、この映画によって人生を翻弄された一人だった。

    カメラマンのKさんは、本当に個性的で野性を感ずる人だった。
    若かりし頃は、どんだけ喧嘩したものかと、その風貌から脱帽だ。
    自主制作の映画とは、いかに金を集めるかの映画だった。
    「金」の話をすると鬼気迫るものがあったと、Nさんが言っていた。
    そのKさんの迫力に、やばさを感じて、彼は逃げ出した一人となった。
    Kさんは、「風の波紋」の監督だ。
    この映画も、いつでもかかったら観に行こうと決めている映画だった。
    彼は、腎臓を患い、人工透析の身体だ。
    今、新作のために「金」をやっぱり集めている。

    ラッシュフイルムは、無声映画だ。
    そこに、雨の中山間の小さな棚田をおこす、七十何歳の斎藤の爺さんだ。
    雪解けの冷たい水に手を入れて、土をのける。
    固まった土を耕し、田んぼに戻す。
    ただ、その作業を延々と撮影していた。
    16ミリフィルム味わいは深い深い。
    淡い色の映像には、何とも言えないノスタルジーだ。

    斎藤さんが、コップの中の透明な液体を旨そうに飲んでいる。
    あれは、酒だなぁと想ったら、
    スプライトだと教えてもらった。
    映像には音はない。でも、三人が当時のことを思い出して楽しそうに解説する。
    何だか、家族や親戚、ご近所の人たちが集まって、
    死んだ大好きな爺ちゃんの思い出のビデオを観ているようだった。
    何だか、お客も一つになって、和気あいあいと、懐かしさに心を和ました。
    こんな映写会もあるんだなぁ。だった。

    「阿賀に生きる」って、観るたびに何か気付きがあるんだよね。と、私
    俺も、同じらよ、は隣のNさん。
    何だかさ、こっちも年をとったせいらろっかね、と私。
    だんだんあの斎藤さんに近くなってきたすけ、分かるようになったんかもね。

    本当に、不思議な映画なんだ。
    この映画の製作にかかわった若者たちの人生をこんなに変えてしまったのは、
    どうしてなのかと、いつもいつも私は感じだ。

    するとだな。
    やっぱりな。
    ここに登場する、船大工の遠藤さん・餅屋の加藤さん・農家の斎藤さん。
    みんな何だか、仏様なんだな。

    私は、この映画が懐かしいのは、仏様がここにいなさるからだ。
    そして、彼らが生き方を変えたのは、
    あるべきように生きているこの仏様たちに出会い、
    きっと自分の中にずっとずっと眠っていた仏様が覚醒したからではないだろうか。

    仏教の修業には、正師が必要であると言う。
    彼等は、きっと出会ったのだろう。
    その土地にその大河に土着する本物の仏様に。

    だから「阿賀に生きる」なんだな。

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