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  • from: クマドンさん

    2017年10月05日 06時16分34秒

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    「阿賀を生きる」だなぁ

    「阿賀に生きる」だなぁ。
    741円の飲み放題をやってからのシネウインド。
    最前列のいつもの席。
    何を待っているかって?
    あの爺ちゃんと、婆ちゃんのことを、待っている。

    長谷川さんのはさがけが冒頭のシーンだった。
    阿賀野川がその向こうに滔々と流れていた。
    酒を飲んで歌を歌う。
    それをそこで婆ちゃんがかまっている。
    夫婦だよなぁ。
    気持ちよさそうに酒に酔い、歌を歌う。

    加藤さん夫婦も面白すぎだ。
    餅をついている時の彼の活き活きとした溌剌とした姿からは、
    80歳に近い年だとは感じられない。
    ところが、薪ストーブの前で酒を飲み一休みしている時がおかしいんだ。
    隣にでんと腰掛けている婆ちゃんに、
    邪魔らすれどけれと言うが、
    足の悪い婆ちゃんは、何かかんかといいながら、ずろうとしない。
    このやり取りが本当に捧腹絶倒だった。

    老いた弟子が船作りを始めた。
    心配になって船小屋にやって来た遠藤さんは、
    じっとじっと黙って弟子の手先を見つめている。
    渋い、深い、じーんとする。
    こんなにアップで黙って全てを語れる人は、稀有な人だと感じた。
    その内に、職人魂に火がついて、自ら道具をもって作業する。
    その本気さが、何だか懐かしい。

    私は、この人たちに会いに、映画館の席に座る。
    今も、こうして想い出すだけで、その人たちが蘇る。
    何も変わらず、ここに居る。
    ああ生きたいものだと、いつもいつも想っている。
    私は、生きている人。生きて来た人に会っている。
    そして、ただ会っているだけでなく、
    きっと魂がどこかで深く感じ、
    いかに生きるかを、おさらいし直しているだと想っている。

    大好きな爺ちゃんたちに会う。
    こころがほくほくと嬉しくなる。
    傍に居るだけで、何だか楽しく、わくわくとする。
    何もしなくてもいい。
    本当にそこにいて、喋っていたり、酒を飲んだり、歌を歌ったりだ。

    何だかゆったり、おおらかに時は流れる。
    そんな一日をこの爺ちゃんたちと共に生きたい。
    そうやって生きている爺ちゃんたちに、
    私もちょっぴりあやかりたいし、
    そんな風に私も生きて、死ねたら幸せだなぁと、いつも想う。

    爺ちゃんたちは、自然=実存=いのちそのもののど真ん中で生きている。
    長谷川さんのはさがけは、独りで夜中までの作業だった。
    彼は太平洋戦争では中国を転戦た生き残りでもあった。
    加藤さんは昔、東京の大井町で餅屋をやっていた。
    その店をたたみ、この鹿瀬の田んぼを求めて、ここに移住してきた。
    遠藤さんは親方につき、生涯で200槽余りの川舟をこさえた人だ。
    阿賀野川の川漁師たちの大部分の木船は、彼が造った船だった。

    そして、80歳の年になっても、まだまだ現役、達者に生きている。
    その当り前さが、その滔々とした生き方そのものが、
    何だかとてもとても懐かしく、尊いものに感じられる。
    こうして生涯を生きている人は、稀有な人だ。
    どこにもなんにもまじりっけなく、
    素のまま、そのまま、ありのままに、そうして生きる。

    疲れたら酒を飲み、ごろりと横になっていびきをかいて眠る。
    近隣の人たちが訪ねて来たら炉縁でお茶を淹れる。
    独りでただただ黙々と素手で冷たい田んぼの土をおこす。
    のみとげんのうのダンダンという音が響く、響く、真剣な作業が続く。
    一日一日、ただそうやって過ぎ去って行く。
    しかし、その一日の温もりは、ここに在る。
    その温もりと、確かなありようは、ずっとずっとここに在る。

    私は、ふと、遠藤さんを想い出す。
    そうだなぁ、真剣に仕事に向かわねばなぁと、戒める。
    長谷川さんは、80歳になっても独りで田んぼ仕事に励んでいた。
    敗けられないし、そうやって身体を使って私もいつまでも仕事をしたい。
    加藤さんは言う、「酒、うんめかった。みんながきてくれて、うんめかった」
    そのおおらかな、人にはとてもとても親切で温かなそんな生き方を、
    私も、していきたいなぁと、憧れを感ずる。

    町場に在り、人と人との中でごちゃごちゃと生きている私たち。
    でも、本当は、そうやって、爺ちゃんたちのようにして、
    のほほんと、自然の中で、実在の中で、いのちのはたらきの中で、
    生きて、死にたいのではないだろうかね。

    父と母のように、この人たちは、既にあの世の人となっている。
    まさに仏様の弟子のような人たちだ。
    その生き方を説明はできない。
    だから、佐藤真さんは、映画に遺した。

    私が、そうであるように、きっと監督もこの人たちに惚れたのだろう。
    離れられなくなったのだろう。
    そんな気がする。
    上手くはまだ語れない。
    でも、その味わいが少しだけ分かる歳と私はなった。

    佐藤さんも、生きていてくれたら、どう感じたことだろう。
    仏様は、いなさった。
    そして、こうして、私の中に居てくださる。
    父と母と、長谷川さんと、加藤さんと、遠藤さんだ。

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