新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2017年10月08日 06時53分48秒

    icon

    森の人たち

    さてさて、金曜日の夜は、久しぶりの楽しい飲み会であった。
    「がっこうの森」にかかわった人たちの集まり。
    その発起人は、小千谷のSさんだった。
    飲み放題に大いに飲んで、語り合った。
    その中で、私たちが共通に気付いたことは、
    「森を造って来たから、私たちは出会えた」と、いうことだ。

    人の縁とは、不思議なものだ。
    あの時、同時的に豊栄市で、新発田市で、聖籠町で、小千谷市で、
    がっこうの森は、造られた。
    その森は、学校が造る森でもあるが、地域の人たちが造る森でもあった。
    その森造りのプロセスで、多くの人たちの縁が結ばれた。
    それは、「森の会」となり、「みらいの種」となり、
    その学校と地域とを繋げる「結」となって、今も続いている。

    この活動は、全国に先駆けての実践だった。
    私たちも、その森造りに奔走しながら、意気に感じて奮闘努力の日々だった。
    私たちは、樹を植樹した。
    何も無かった場所に、クヌギやコナラ等の苗木を親子で植えた。
    その樹たちは、子どもたちのど真ん中ですくすくと育って行った。
    10年・20年とたち、立派な樹木として独り立ちし、
    全体は穏やかな関係性の中でとてもとても素敵な森になっている。

    子どもたちは、窓から、その森を眺めて育った。
    森の中で遊び、森の中で感じ、森の中で何かを理解した。
    寂しい時や、哀しい時も、私がそうだったように、森に居た。
    森は、独りぼっちでもいい。
    私もよく独りになりたくなると、森に入った。

    どうして、森だっのかは、やっぱり語り合いながらも分からなかった。
    でも、何だか、自分にとっての「いかに生きる」の問いが、
    私たちを森造りに向かわせたような気がした。
    森が、私たちを呼んだんだ。
    森が、現れたかったので、きっと私たちの心に呼びかけたのだ。
    ふと、そう想ったら、腑に落ちた。

    森を造ってよかったと、みんなそう想えている。
    やはり何かを感じて、動く人がいないと、
    そのものは、この世には存在しないものなんだ。
    誰かがやるでは、きっと遅いのだろう。
    私がやります。
    そこからしか、きっと何かとは始まらないものだ。

    その森の教育的な価値は何か。
    生態系としての森の在り方とは何か。
    そんなものは、全く、どうでもいいことだった。
    説明をする。論ずる。証明する。
    そのことによって、森のもつ本来の命は分断され、枯れ果てる。
    人は、自分の名誉やエゴのために、これを使おうとした。
    でも、本質はそこには全く存在しない。

    森は、ただ森の命を生きたいだけ。
    その命は、私が死んでも、ずっとずっと続くいのちだ。
    学者さんの言葉を遙かに超えたもの。言葉と実存は、遠く隔たる。
    どうしてできもしないことに、やっきになって論ずるのだろうか。
    深く感じてもいないことに、意味を勝手に押し付けるのだろうか。
    不自然なものは、長続きはしないものだ。

    さてさて、懇親会の最後には、自分語りの時間となった。
    森について語りながら、いつの間にか自分の人生についての語りとなった。
    そして、語りながら、自分のことの再発見となっていた。
    深く深く自分の中に眠っていたものが、カミングアウトした。
    この言葉だけが、本物の言葉。
    理屈は何だか、その場にはふさわしくなかった。
    私は、そうして深くで語られる言葉の重さをずしんと感じた。

    語るとは、自分を明らかにすること。
    語るとは、自分自身に意味を与えること。
    語るとは、自分が自分になりきってしまうこと。何だな。

    森を造った。いや、森が現れるお手伝いをさせていただいた。
    そのおかげで、新たな縁がいくつも生まれた。
    多様性こそ、人生なんだとも知った。
    違うことが、とてもとても大事だったと、森が私に教えてくれた。
    だから、命は、互いに連携して、助け合い、補い合って生きていけるんだ。
    一本の巨木だけでは寂しいものだ。
    多くの命に囲まれ、かかわっての巨木は、きっと幸せに違いない。

    実は、私たちは、そこでこの世では学べない大事なものをきっと学んでいる。
    森にしかない、全てを、私たちは、感じて、信じて生きて来たはず。
    その感じたことを、言葉にするまではまだまだ時間が必要なようだが、
    森は、確かにここに在るのだから。在り続けてくれるのだから。
    また、迷ったらそこへ戻ればいい。
    清浄なるもの。静寂なるもの。純粋なるもの。生きる意味であるもの。

    きっと、私たちは、その無声を聴き、その声に従い、ただ進んだだけなんだ。

    原点は、森に在り。
    これからも、そうやって生きたいものだと、その夜、感じた。
    また、山に戻りたくなった。ひしひしとこの腹筋が繋がった今、そう想っている。

    朝日だ、輝いている。額の辺りが温かくなった。
    お日さまの温かさは、こんな私にも届けられる温かさだ。
    Sさんも、今頃、信濃川の川辺をけんけんをして、遊んでいることだろう。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件