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  • from: クマドンさん

    2017年10月09日 06時41分17秒

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    伝える人に

    昨日は、午後から花壇のお仕事だった。
    沢山あるプランタを一か所にまとめた。
    まさに、寄せ集め植え。
    これがこれで見事なんだ。
    多種多彩。
    それぞれが別々であって、みんなで一つ。
    秋の日差しを浴びて、みんなとても気持ちよく輝いている。

    色は、光の中で発色する。
    みんなそれぞれに微妙に違う色としてここに存在している。
    今だけだ。
    後、一カ月もたてば、消えてしまういのちたち。
    この色こそ、無常迅速・生死事大の現れだ。
    どんなに美しく輝いていたとしても、そのいのちは儚いものだ。
    自然を生きているもの全ての、それが宿命だ。

    いつかさよならをする。
    そのことをいつでも想って生きている。生活する。
    そうすると、気が楽になる。
    ここに居てもいいと想える。
    本当に午後の3時間は、庭で過ごした。
    じっと真っ白なコスモスの花を観ていた。
    空の雲を観ていた。
    爽やかな秋の風の流れを感じた。

    するとひっこりとトカゲが一匹現れた。
    ああ、お前は今日、餌があったかと、心配になる。
    すると、もう一匹するすると現れた。
    ああ、独りじゃないんだ。よかったねだ。

    Sさんと話ながら、だんだんおぼろに気付き始めたことがある。
    「考えることより、まず、感じることですね。」
    「感ずることの大切さを、私たちは忘れていましたね。」
    「花を観る。風に吹かれる。鳥の声を聴く。雲を観る。お日様を浴びる。」
    「ただ感じていると、感じたままに言葉が現れます。」

    何だか、「言葉」というものの意味が少し分かりかけて来た。
    「言葉になるためには、時間が必要ですね。」
    「それは、機が熟し、季節にならないと葉が芽吹かないと同じことです。」
    「やっぱり、葉っぱだったんですね。」
    私の中で、すーっと感じたことと言葉とが一つになる時、
    その言葉は、造りものではなく、自然の言葉になる。
    「こう書こうとか、ああ書こうとか考えると、言葉が離れてしまいます。」
    「ただ、感じたままに、素直に自分の内なる声に聴き随って書いていきます。」

    そのことができるのは、人間だけなんだなと、その時、気付いた。
    「言葉は、きっと生まれたがっています。」
    「でも、その言葉を宿し、現してくれる感性を求めています。」
    「このちっぽけな庭の自然には、実は、そうした言葉に充ちていました。」
    だから、きっと感ずるのだろうし、心が穏やかに、落ち着いて来る。
    ここに居ると、私は、孤独を感じない。
    人の中で感ずるあの孤独感はここには存在していない。

    何もしていなくても。
    ずっと時間が、流れて行っても。
    ぼーっとそこで、半分眠りながら池田晶子さんの言葉を読んでいても。
    何も無くとも。それがいい。
    自分に還る。故郷に還るかな。
    大拙さんは言っていた。
    「本性=ネイチャー」と。

    「だから、Sさん、感じた人は、その感じたことを言葉で現さなければなんですね。」
    「私は、ここに言葉を書きながら、自分が居なくなることを感じます。」
    「ただ次々と感ずるままに、言葉と感じが同時的に進むとき、心地よさを感じます。」
    「不思議ですが、言葉は、私が考えて現すものではない気がします。」
    「言葉の方が呼びかけて来ます。」
    「言葉は、在ります。そのことを、仏陀も、イエスも、道元も、良寛も、」
    「きっとみんな伝えたかったんだと想います。」

    しかし、それは、言葉としてでもあるが、生き方そのものとしての言葉として。
    私は、メモに膨大な量の言葉を書き写して来た。
    あの病院のベッドの上でもそうだった。
    いや、むしろ、あのベッドの上だった時に、言葉が入った。ごくごく自然に。
    その書いた言葉は、忘れる。
    忘れるから、また本を読んで出会った言葉を書き留める。
    何のために。

    それは、きっと本性に還るため。
    「初めに言葉があった。言葉は、神と共にあった。神は、言葉である」
    私は、長年、このヨハネの言葉に出会ってから、
    この言葉への問いに、捕まえられてきたようだ。
    「なぜ、言葉があったのか。なぜ、言葉が、神なのか」だ。

    でも、やっぱり私は、苦難の中で、絶望の中で、激痛の中で、
    言葉が救いであり、助けであり、希望であった。
    もし、言葉がこの世に伝えられてなかったら、
    私は、何によって生きると言うのか。
    言葉無くしても生きられる花たちはそれでいい。
    しかし、きっと人は、言葉なしには生きられない存在ではないのだろうか。

    そして、想った。
    「ああ、そうだよなぁ。池田さんは癌で46歳の若さで亡くなった。」
    「でも、無くなってはいないよな。ここに在るよな。ここに居るよな。」と。
    それは、ここに池田さんの遺した言葉が、在るからだ。
    そして、会ったこともないこんなちっぽけな私の心に、
    小さな灯となり、絶対に消えない光として、ここに燃え続けてくれている。
    言葉は、消えない。
    言葉は、続く。
    言葉は、きっと誰かに受け継がれて行くものだ。

    あの花の美しい多彩な色の輝きのように、
    きっと私たちの内には、言葉になりたがっているいのちが在るのだと想う。
    そのいのちが、言う。云う。
    そうなんだ。「云う」ことが、大事なんだ。

    池田さんが言っていた。
    「言葉の巫女になる」と。
    云いたいこととは、伝えたいことだ。
    そして、その伝えたいこととは、ずっとずっと魂によって伝えられたことであり、
    生まれもしない。死にもしない。
    私が、この世に生まれる前に仏陀が生きて、死んでいるし、
    その仏陀が、悟った真理とは、それは仏陀の生まれる前から存在していた。
    仏陀が悟り、それを受け継ぎ、伝えた言葉。
    それは、確かにこの庭の花に、鳥の声に、空の雲に、爽やかな風に充ちている。

    そこに、「云う」「人」が必要なんだ。
    それこそが人の人としての使命なのかも知れない。
    「伝える人」になることが。

    だから、それを深く深く感じよう。
    それもゆったりと、静かに、落ち着いて。
    そして、感じたことがささやかでも何かあったら、
    それをこうして言葉に現してみよう。
    言葉だけは、遺せるものだから。
    次の人たちに伝えられるものだから。
    「伝える人」になりたいものだ。

    「言葉を感じて、言葉で現す。ですね」だった。
    「そして、最も大切なことは、その言葉を生きる。言葉に成るでした」と。
    60歳になって、やっとそのことが分かった気がする。
    「言葉を信ずる」
    「言葉に委ねる」
    「言葉を生きる」
    そういう人に、私はなりたい。

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