新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2017年10月10日 06時21分42秒

    icon

    新潟シティマラソン

    新潟シティマラソンの朝だった。
    まちの整体師のCさんがフルマラソン。
    割烹の若旦那Yさんが10キロ。
    2人が出場する朝だった。

    私は、2年前まで、ここを走っていた。
    昨年は、腹腔ヘルニアの手術の後で走ることはもってのほかだった。
    それなのに昨日、掃除をしていたら、申し込み完了のはがきだった。
    だから、何だか、突然、無性に応援に行きたくなった。
    朝食を済ませてから、「行ってくる」と言って、自転車で万代橋。
    万代シテイーからの登り切ったところに、椅子を置いて、陣取った。

    まだまだここにはランナーたちは到着していない。
    あの「栄光のルマン」のレース前のあの高揚感と静けさだった。
    そして、先頭のランナーがやって来た。
    まさに疾走だった。記録を狙い、入賞を目指すランナーたちだった。
    私は、それからずっとずっと、立ったまま、声援を送った。

    拍手をした。
    「ファイト」と呼びかけた。
    「がんばれ」とも言った。
    「8キロだよ。後、少しだよ」とも励ました。

    かって私がフルに出たことが一回だけある。
    その時は、大堀幹線から新大のキャンパスを抜けるコースだった。
    その時だ、大堀幹線で私の膝は悲鳴を上げていた。
    太腿の内転筋の痛みも増し、辛くて辛くての走りだった。
    すると、沿道に多くの人たちが応援していた。
    私がその人たちの前を通ると、温かな声援だ。
    拍手だ。本気になって「がんばって」と、励まされている。
    不思議なんだが、すると、痛みを忘れて走ることができた。

    人並みが途絶えると、また、辛くなる。歩きたい。休みたい。
    するとまた応援の家族連れ。
    幼い子どもの声で「がんばれ」は、奮い立つものだ。
    そうやって私は、新大に向けた坂道にさしかかった。
    ここが最大の難所だった。
    ただ、一歩一歩足を上げる。
    荒い息を吐きながら、自分自身に気合を入れる。
    「登り切る」「とにかく休まない」そこから次は考えようだった。

    そうやって難儀して、目の前を真っ暗にしながら、登り切った時、
    あの親父は、そこに居た。
    太鼓を叩いていた。
    「よく、登った」「よく、がんばった」と、
    60代だろうか、その親父は登り切った私たち独り独りに声をかけた。
    嬉しかったなぁ。
    何だか、ジーンとして、鼻の奥がつーんとした。
    この人は、見ていてくれた。
    この人は、私の独ぼっちのがんばりを、大きな声で褒めてくれた。

    その時は、青山斎場前の30キロの喚問で引っかかった。
    まぁ、フルーツの食べ過ぎと反省はしている・・・・。

    声援は、届く。
    本気の応援は、がつんと響く。
    それは、確かに力になる。
    その力とは、自分が弱気になり、怯みそうになった時、蘇る力だ。
    あの声がある。
    あの声を力にする。
    ここで、負けられない。
    あの声が、胸に響く。

    そんな声と拍手を届けたくて、私は、その場にずっとずっと立っていた。
    独り独りなんだ。
    ランナーは、独り独りで自分と向かい合い、闘っている。
    8キロは、きついところだ。
    万代橋の上り坂もある。
    その登り切ったところに、その人の走りの意味があるように感じた。
    ランナーは、自分だけの人生の走路を、孤独に向き合い、走っていた。

    弱気になることもある。
    途方に暮れることもある。
    泣きたいこともある。
    辞めたいこともある。
    それでも、次の一歩、また次の一歩だ。
    その一歩のための力に少しでもなれたらと、
    私は、独り独りに声をかけた。
    そして、閉門になり、最後のランナーたちにも、声をかけた。

    走る人が居る。
    応援する人が居る。
    それは、この走りに全く無関心の人も居る。
    ただ私は、かってそうであったように、走ることを選択し、決断し、
    そして、走りを続け、自らを鍛え、弱気になる自分自身に言い聞かせながら、
    何とか8キロを走ってきた。歩いて来たランナーが、
    自分自身に見える、きっとそうだから、最後まであきらめずに、
    走り続けようとする独り独りに、心から声援を送りたかっただけ。

    走っているその人の苦しみと痛みとが、わかる。
    だから、声援の声は響き、力があった。
    この響きと力を与えられたことを、私は、神様に感謝している。

    それから、自転車でみなとトンネルに向かった。
    その入船側の出口で、ランナーたちに中学生と一緒に声援を送った。
    今度は、歌と踊りのパフォーマンスだった。
    トンネルを出て、上り坂にさしかかる20キロ地点だった。
    黙々と走る人。声援に笑顔で応える人。手を振ってくれる人。歩く人。倒れそうな人。
    ああ、こんなにまざまざと独り独りの人生を観ることはかってなかったことだった。
    何千人と、ここを走り、ここを過ぎ去った。

    人は、独りであり、集団の中の孤でもある。
    しかし、きっと同じ走路を、同じ目標をもって、めいめいで走っていることが、
    私たちが同時代に生きるという意味ではないだろうか。
    こうして、日々、当たり前の日常生活であろうとも、
    このランナーたちとは、変わらずに、私もやっぱり走っている。
    そして、みんなも、同じ走路を、同じ方向に向かって、
    やっぱりめいめいの走りや、歩きで、生き続けている。
    そのことを、何千人ものランナーを俯瞰しながら、
    改めて感じた。気付いた。ああ、本当は、独りぼっちではないのではないかと。

    Cさんは、6時間55分で、完走だった。
    Yさんもきっと納得の記録だったと信じている。

    来年は、走ろう。
    そのための、1年間にしたいと、独り心に誓った。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件