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  • from: クマドンさん

    2017年10月12日 06時23分25秒

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    言葉の「現れ」

    「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」  阿闍梨

    この言葉は、高倉健さんが色紙によく書いた言葉だそうだ。
    阿闍梨とは千日修行をした人のこと。
    健さんといい、阿闍梨さんといい、
    何だか黙って、ただまっすぐに自分の道を往く人の姿には、
    いつもいつも学ばされる。

    この言葉に出会う。
    その言葉の意味を味わう。
    何度も心の中で読み返す。
    そして、いつも自分の日々の生き方と重ね合わせる。

    この言葉らしく、生きているだろうか。
    この言葉を、ちゃんと生きようとしているか。
    この言葉が、しっかりと私のことを見つめている眼差しを感じているか。

    毎朝の本当に短い、短い祈りでは、
    もう私はいりませんだった。
    私の想いではなく、父の想いだけで生きる。
    どうかこの一日を生かしてくださいの願いである。
    つまり、だんだん私が生きている感が薄れ、
    その「サムシンググレート」の見えない力と働きに生かされ、
    何だか身体の力を脱力して、そのまんま、
    命ずるまんまに、生きてみたいなぁと、今は、想う。

    昨日、再就職の希望調査の用紙を渡された。
    後、半年だ。
    その間を無事に過ごせるかどうかは、私の想いではない。
    自分ではどうにもならないことこそが、自然だった。
    そのことが、よくよくわかった。
    だから、逆にじたばたしなくなった。
    万事塞翁が馬として、生きている。

    こだわりをなくす。
    こうでなければならないを、忘れる。
    どうでもいい。
    みんなど真ん中を生きている。
    それは、きっと私も同じなんだ。

    あるのは、今、ここだけ。
    ここに、今、いること。感ずること。考えること。
    まず、挨拶をすること。感謝すること。ありがたいと感ずること。

    そう考えたら、いかに私自身の生き方が変わってきたことか。
    歳をとらないと、やっぱり人はわかることが、わからない。
    本当は、ちゃんと、生まれる前から、そこにあるのに。
    その「それ」がわからない。
    だから、あちこちをさ迷い歩き、「それ」を探す。求める。欲する。
    でも、探す主体である私がいるうちは、
    その「それ」とは、決して巡り合えないものだった。
    本当は、「それ」を友がちゃんと私の着物の襟に縫い付けておいてくれたのに。
    どん底に堕ちない限り、その秘められた珠には気づかないままだ。

    そうやって、文字通り「生死」を彷徨った。
    身体が全く不自由になり動かなくなった。
    大事なものを失い、まったく孤独と悲しみの日々も味わった。
    何だったのかは、今でも、わからない。
    それは、それで、不思議なめぐりあわせ。それも「縁」だ。

    一年と二か月がたち、やっと腹筋が固くつながったような気がする。
    再生できないと諦めていたのは、私という私だけ。
    やっぱり自然なる身体は、こうしてなるようになった。
    蘇生とは、この私の身体のこと。
    私は、この身体によって、蘇生を体験し、味わった。
    「生きる意味」がまだあるうちは、死なないし、死ねないんだな。

    みんな終わる。
    終わることは、必定だ。
    人は、きっと終わる時に、終わる。
    それも自然なことなのだから、遅いも早いもなく。
    もう少しも、残念もない。
    往くときは、さっさと往こう。
    きっとそれだけ。

    その臨終の瞬間に、きっとこの宇宙の不思議の謎はすべて解けるはず。
    「ああ、そうだったのか」
    「ありがとうございました」
    「生まれて来てよかったです」
    「父と母とに感謝です」
    「家族みんなに感謝です」

    そんな気持ちで、きっと去るはず。
    ただし、「往く」とは、「目的地」に行くことだ。
    きっと私は、本来のあるがままの私になり、そのままであるという
    そんな平安と幸福感とを感じているはず。

    この身体の蘇生が、その事実を明らかにした。

    「サムシンググレート」は、すべてのいのちに働いている見えない力だ。
    その力や働きの現われに、実は、この世界は満ち満ちている。
    今朝、小鳥が鳴いた。その鳴き声こそ、その力と働きの現れだ。
    私は、その力と働きを、庭の花たちに感じている。
    彼ら、彼女らは、生かされて、ここにある。
    あの鮮やかで繊細な花の色たちは、その力と働きの輝きだ。

    そして、その力と働きとは、この世に現れることを願っている。
    そのことを現される、言葉と、音と、色と、形を待っている。
    言葉も、色も、音も、形も、すべて造られたものは、
    その力と働きの現れにすぎない。

    その現れが、結実して、実を結ぶとき、
    すべてのことは「現実」として、ここにある。
    読む言葉・聴く言葉。
    それは、まさに言葉としての、現れだ。

    だから、私は、これからは精進しなくてはならない。
    私が、私の生き方で、その現れとなるために。
    だから、自分を言わない。
    言われるがままに、言葉のままに、ただ生きればよい。

    その生き方しか、後悔しない生き方は、人にはない。

    言葉の現れとして生きる。
    そのことを、阿闍梨さんも、高倉健さんも、「精進」と言う。

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