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  • from: クマドンさん

    2017年10月13日 06時25分49秒

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    現れ。何の?

    「我々は自分自身を生きている。
     もしくは、自分が生きていると思い込んでいるけれども、
     そんなの大間違いで、我々は自然、もしくは存在の不思議を、
     その現れを生きている。
     生かされているというのが本当のところです。」

    「理念(イデア)の現れが現実である。」    

    「私の中に心があるのではなく、
     心の中に私があるのですよ。言ってみれば。」  池田晶子

    昨日は、へとへとに疲れていた。
    慢性的な寝不足もあり、身体を酷使して来たせいもある。
    研修で実践発表を聴きながら、爆睡に堕ちることにやっと耐えた。忍んだ。
    そうだなぁ。
    やっぱり「忍ぶ」という生き方を自分のものにすることで、
    私が出会うことに対して、すーっと自らを処せられるような気がしている。

    何も私の想い通りにはならず、
    全てのものはそれぞれがそれぞれの力と働きとに促されて生きている存在だ。
    それぞれは、それぞれのままで、ど真ん中。
    その在り方に対して、私は、何も言わないし、言えない。

    違っていること。別々であること。様々であること。
    それはまさに当たり前の現実。
    だから、「何で」は、どこにもない。
    「何でも、あり」は、きっとこの現実。
    そこに生きる。
    そのためには、「忍ぶ」「耐える」「しんなら強く」が大事、大事だ。

    介護職員の初任者研修も、今週で10回目となる。
    よくよく、通うことができたものだと、自分を褒めた。
    しかし、もし、私が突然の病に侵されたとしたら、
    もし、突発的な事故で大けがをしたとしたら、
    その出席は、その時からストップとなる。
    一回でも休んでしまったら、この資格はもらえない。
    そんなに厳しい条件をここまでクリアーできたのは、
    ある意味、無事でぁった。

    歌を歌える。
    これができることも、私がこうして無事に生きているからだ。
    東区のトークボーイズと北区の合唱団で私は歌っている。
    そして、教会の礼拝では、喜びを感じながら大きな声で歌っている。
    こうして、歌を歌うことの楽しさを味わえるのも、
    ここに無事に生きていられることのおかげさまだ。

    今、庭の花たちが真っ盛りで、本当に美し過ぎる。
    夜、灯りを照らし、ビバルディーを聴きながら、酒を飲む。
    花たちがそこで咲いていてくれることで、
    何だか心が落ち着いて来る。
    花たちは、その言葉で、
    生きることと、衰えることと、死ぬこととを語ってくれる。

    その言葉は、確かに、不思議な力と働きからの現れだった。
    黙って、花たちの微妙な色や形の違いを愛でながら、
    私は、花たちが語りかけて来る言葉を聴いている。
    だから、不思議と、「それでいいと」と、落ち着いた気持ちになる。
    本当に、花たちは、言っている。
    「それでいい」と。

    月曜日に、「りん」という朗読劇を観た。
    大石内蔵助の妻の生涯の物語だ。
    何だかねぇ。身体が芯から震えるほどの感動だった。
    慟哭しそうで、その沈黙の客席で困った、困っただった。
    「忍ぶ」とは、「耐える」とは、そして、「それでいい」とは、
    本来のこの世における、その人独りひとりの物語なんだ。
    「忍ぶ」そのことを「受け入れる」
    それでいい。それが、いい。そのことこそ、生きるということ。
    笹部さんの脚本と演出の何と深く、見事なことかだ。

    何が言いたいのかよく分からなくなってしまった。
    しかし、私の原点は、あのICUの真っ暗な病室だ。
    手足も身体すら動かせない痛みの中で、目覚めた私。
    その時、私は、ほんの数日前までの「無事」を想った。
    何とも、素敵で、輝き、ありがたい日々だっんだなぁと。

    その時からだった。
    もし、また、家に還れたら、庭に花を育てようと。
    そして、大好きな合唱にまた参加しようと。
    そして、新たな人生の一歩を踏み出してみようと。
    今は、無事だから、それができる。

    そして、考える。
    そうだなぁ。「まさか」の連続だった私にすれば、
    この無事な日々こそ、「まさか」なのではないだろうかと。

    私は、この体験から、どうにもならないことに人生は満ちていることを体感した。
    そのどうにもならないを、私は生きていることを知った。
    しかし、そのどうにもならないには、全部「意味」のあることも感じた。

    だから、そんな状況に陥っても、「忍ぶ」ことができる。
    「耐える」こともできる。
    何故なら、そのことは、与えられたものだからだ。
    不思議な力と働きとによって、私の幸いのために与えられた宿命であるからだ。

    「りん」は、天から選ばれた。
    そして、「忍んで」その生涯を終える時、本当に生きるの意味が腑に落ちた。
    そのための厳しく、辛い生涯であった。

    現実とは、イデアの現れである。
    ならば、信じられる。
    ならば、忍んで生きられる。
    ならば、この日々の無事を感謝しながら生きられる。

    きっと私は、そんなことを言いたくて、ここに書いたのだろうと今、感じた。

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