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  • from: クマドンさん

    2017年10月20日 06時25分08秒

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    激烈な痛みが教えるものとは

    いゃあ、大変だったな。
    無事こそ何よりのことと書いた翌日に、また「まさか」だった。

    先週の金曜日の夜、隣の町内の井戸端会議だった。
    いつものように町を語り、人生を語り、何とかせねばを語り合った。
    本当に深い深い会だった。
    茶の間のSさん、Tさん、二人の女性の献身的な働きから、
    とてもともて教えられることが多い。
    地域のディサービスのYさんとは、畑について語り合った。

    何かが生まれる会である。
    ここで語られたことは、確かな形で実現している。
    「献身」と「次に繋げる」「形を造る」
    それを勇気と意気に感じてやっている皆さんだった。
    この会に参加する度に、心が新たになるような気がする。

    その会の終了間近だった。
    「きたー」だった。
    2年前に感じた、あのみぞおち辺りを締め付けるような痛みだった。
    この痛みは、まるでマグマだった。
    突き上げて来るまでに時間がかかる。
    ただ、その症状が出たら、大爆発は必定だった。
    「ここで、ですか・・・・」
    身体は、私の意志を全く無視して、ただ遂行するのみ。
    マグマは、地中奥底から、ずんずんと湧き上がって来る。
    それは、痛みのバロメーターだった。

    マックスに達する前に、何とか己を処せねばならない。
    とにかく、後片付けを勘弁してもらい、
    「ううーーーん」と腹を抑えて唸りながら、集会場を出た。
    「きっと、家まではたどり着けないな」との想いがよぎった。

    大山台の坂を上ると同時に、痛みのピークに達した。
    胆石をやったことのある人だけは、
    ここから先の激烈なる痛みについては、想像できる。
    これ以上の痛みって、この身体には存在するのかの、痛みが突然襲って来た。
    立っていられない。
    私は、たった独りの公園の東屋の脇に転がった。
    身体を曲げて、呻きながら、ただただこの痛みが鎮まるのを耐えて待った。

    「ああ、人ってこうして死ぬこともあるよなぁ」と、
    月の光に照らされて銀色にか輝く、流れて行く雲だった。
    「何とか助からねば」と、携帯で妻にSOSを出した。
    「死ぬほど腹が痛い。胆石だ。動けない。助けてくれ」だな。
    近くのCさんにも連絡したら、すっ飛んで来てくれた。
    しかし、本当に手の施しようがない。
    私は、そこに転がったまま、吐いてしまった。

    「明日の学校は、休めない」
    介護職員初任者研修は、明日で10回目だった。
    休んでしまうと、その回をどこかで受講しない限り修了できないことになっている。
    「救急車は、呼ばない」
    それは、緊急入院しては、翌日の講座を受講できないからだ。
    「何を言ってん」と、妻には叱られたが、
    救急車より、私は講座の受講をとった。
    愚かな選択だとは自分でも分かりながら、
    そうせざる得ない私という人なのだ。

    いつものように、20~30分間位だろうか、
    その大爆発の後、ゆっくりゆっくりと終息に向かった。
    それから、よろよろと立ち上がり、家に向かって歩き出した。
    こんな夜に限って、長男も次男も不在だった。

    本当に人の人生とは分からないものだ。
    前日、学校へ通える無事を感謝したばかりなのに、
    その夜に、こうして胆石?の激烈な痛みで転がってしまった。
    医者は、「胆管炎ですかねぇ」と、胆石だとは言わなかった。
    エコーで石を発見できなかったからだ。

    さてさて、どんなに「よし、やろう」と、
    希望と期待をもって活動を始めても、
    やっぱり身体が動かなくては、何にもできないものだ。
    身体あってのものだね?とは、昔の人の言葉だ。
    身体が資本だとも言う。
    健康第一は、この数年しみじみとそう感ずる。

    しかし、この「痛み」、実は私にとっては偉大な先生でもあった。
    きっと私が何か大事なことを忘れて生きていたのではないだろうか。
    そんな時だ、先生は突然私の前に現れる。
    「おい、クマ、何をしている」だな。
    「もう一度、よく、考えろ」だな。

    痛みは、そうやって私にもう一度「いかに生きるか」の「問い」を与え、
    その病の中で、深い深い言葉と邂逅させてくれる機会を造る。
    その時、また、言葉が言葉として私の内で力をもって蘇る。
    「言葉だけが救いだ」とは、池田晶子さん。
    本当にその言葉を実感できる日々を、その後送る。
    不思議だなぁ。
    この痛みは、改めて言葉の在り難さを私に教えた。

    五日間になる。
    何が?
    禁酒してからだ。
    酒を飲まなくても生きていられる。
    その不思議さにも感動している。

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