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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017年10月22日 06時36分08秒

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    当たり前はない。

    嬉しかったな。
    昨日、介護職員初任者研修に行けた。
    自転車で行った。
    自転車置き場で、一緒に研修をしている若いTさんに声をかけられた。
    「大丈夫ですか?」と。
    これもやっぱり嬉しかった。
    先週の講義の途中で、突然私は居なくなった。
    そのことを覚えていてくれて、私の身体のことを心配してくれたからだ。

    人は、そうなってみないとわからないことばかりなのかもしれないな。
    失くしてみないと、日々与えられている大事なことすら気付かない。
    そんな愚かな存在が、私と言う人なのかもしれない。

    確かに、9回までこの研修を毎週土曜日受講できていた。
    しかし、それは、その出席を妨げる障害になるものが何もなかったからだ。
    突発的な用事や近親者の不幸。私自身の事故や怪我。
    そして、病気等、本当はは「まさか」の予定外・予想外のことに人生は満ちている。

    そんなまさかの真っただ中なのに、私はそれまでの研修に毎回出席できた。
    これって、これだけで十分に感謝に値することではないかな。

    朝、目が覚める。
    「ああ、今日も生きていていいんだ」と、ある高齢な女性の詩人は感謝する。
    私は、起きてからストレッチを日課としている。
    「ああ、こうして今日も手も足も、ちゃんと動いてくれるなぁ」とふと感ずる。
    こうして、「親父たちよ」をここで書ていることにも感謝だった。
    入院中は、ここではなく、あの食堂から原稿をTさんに送ってアップしてもらった。
    これから、庭に出る。
    もうすっかり秋も深まり、早朝の庭は初冬の空気だ。
    それでも、その冷たさを全身で感ずると、きゅっと身の引き締まるものを感ずる。
    「ああ、気持ちいいなぁ」と、その気持ちよさを感じられることのありがたさ。

    先週の金曜日の夜、9時近くで、突然、全てががらんと変わった。
    昨日の研修の途中で、胆石の痛みについて深く語った30代のSさんだった。
    彼は、その痛みによって、人生の生き方を変えていた。
    そんじょそこらの痛みでは、ないのだ。胆石とは。
    その激烈なる痛みによって、この私が七日間の禁酒をしていた。
    ただ、人って、たったその一瞬で、
    何かが全く激変してしまうこともあるということだった。

    発症した翌日、私は39度の熱で、寒気と極度の体力の消耗感で、
    起きることすら難しかった。
    それでも、妻に車で送ってもらって、研修に行った。
    エレベーターら乗ったらフラフラで、
    教室椅子に座ったら、難儀なので、すぐに帰りたくなった。
    それほど辛かった。酷かった。

    何でもなかったら、きっと何でもなく、私は10回目の研修だった。
    不思議なことだが、身体が優先なんだな。
    上手く説明はできないけれど、やっぱり身体なんだ。
    先週は我が家に帰ってからは水の底に沈んだように、
    ぐっすりと、ずーんと、何とも重く、私は、眠り、目覚め、また眠った。
    それでも39度の熱は下がらす、布団の中で身体を震わせた。

    同じ土曜日に、私は、介護職員の研修に出かけた。
    「整容」にといてだった。
    衣服の着脱の実習だった。
    楽しかった。みんなと同じようにして、同じことができることの嬉しさだった。
    しかし、そんなことを、8回までは感じて研修を受けていなかった。
    「まだ、10回もあるのか」
    「まで、こんな時刻か」
    「早く終わりたいなぁ」だったな。正直そんなことも考えていることも多かったな。

    しかし、昨日は、学ぶ喜びを、感じつつ、何だか一つ一つが嬉しくもあった。
    同じことをやっていながら、この違いとは一体何だろうとふと想った。

    「失くしてしまうかもしれない」
    「できなくなってしまうかもしれない」
    「通えなくなってしまうかもしれない」
    そんな、「まさか」に私自身が思いがけずに遭遇させられてしまったから、
    この気付きに到ることができたようだ。

    「家族とお別れするかもしれない」
    「身体が動かなくなるかもしれない」
    「寝たきりになるかもしれない」

    「死ぬかもしれない」

    実際に、そうした状況を体験する前に、
    その日々のありがたさに気付いて、感謝しつつ生きればいいのに、
    それがなかなかできない私でもあった。

    もし、回復が遅く、症状がどんどん悪化したとしたら、
    私は今頃病衣を着て、ベッドの上で、手術の時刻をまっているかもしれない。
    「もしや」とは、「まさか」ではなく、「当たり前」なんだ。
    ここら辺の機微を納得できる人は、救われた経験を持つ人たちだ。

    私が、痛みに感謝するのは、こういう境地で生きられるようになったからだ。
    またまた、神様は、私にそんな実感を伴った学びの場を与えてくだされた。

    まず、「当たり前」と想わずに、そのこと全てに「感謝」することなんだな。

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