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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2017/11/09 06:49:46

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    新聞配達の次男様へ

    夜中の2時半に電話が鳴った。
    こんな夜中の電話は、人の生き死にに関することに違いない。
    何だか緊張して、受話器をとった。
    すると、NIKの担当の人からだった。
    「お宅の息子さんまで来ていません。どうしましたか?」だった。
    彼は、先月から新聞配達のバイトをしている。
    夜中に起きて、どんな雨風でもの中を車で出かける。
    300件以上の家庭に早朝暗いうちから、新聞を配達している。

    よく頑張っているなぁと、感心している。
    彼は、やると決めたことは、とことんやる男だった。
    スポーツジムのバイトが帰って来ると夜中になってしまうので、
    身体によくないからとそれを辞めて、
    選んだバイトが新聞配達だった。

    ついさっき、帰って来た。
    へとへとになっている。
    眠くて、眠くてだった。
    でも、責任がある。仕事で他人には迷惑をかけられない。
    だから、夜中の2時半に目覚ましをかけ、
    その音で、どんなに眠っていたくても、
    自分自身を奮い立たせ、布団から出て、支度をして、
    真っ暗なダイニングに灯りをつけて、夜中に独りで外に出る。

    寒気が身に沁みる。
    凍える身体。
    NIKでチラシの折り込みをして、重い重い新聞の束をかかえる。
    この新聞を待っているお客さんが居る。
    先日の大荒れの天気の中でも、仕事にでかける。
    雨風に耐え、身体を震わせながらも、一件一件落ちの無いように配達して回る。

    亡くなったASLだった篠沢教授が言っていた。
    「生きるとは、何か」人生とは、そのことを考えて生きることだと。
    そして、時熟だ。
    若かったころ、健康だったころ、順風満帆だったころ、
    全く気付かなかった、人生を生きる意味を、
    身体か全く不自由で、喉に人工呼吸器を差し込んで、声も出せない身体でも、
    生きることそのことに、旺盛に、まっすぐに、くよくよしないで生きている。

    「死を抱えて生きる」とも、言っていた。
    全身の筋力が硬化し衰え、いつかは心肺が停止する。
    それは、必ずやって来る必定だった。
    そのことを、自身の宿命とも、運命とも受け入れ、肯定する。
    そして、ただただ前進あるのみ。
    死ぬことを、楽しみにして迎えようとしている。

    ただし、ただでは死なない。
    今、この時を、自分の身体で感じたままを「言葉」に現す。
    意志の伝達は、全てノートへの筆談だった。
    その書かれた言葉、一つ一つの重さと尊さ。
    それは、不自由な寝たきりのままでも希望と夢とを失わず、
    「生きるとは、かくあるものだ」と、生き抜いた人だからの言葉だった。

    彼は、哀しい過去をしょって生きていた。
    若い頃自分が運転していた自動車で事故を起こし、最愛の妻を亡くした。
    一人息子を14歳で海で亡くした。
    彼は、そうした喪失の中で、絶望にうずくまりながら生きた時代があった。
    それはとてもとても過酷な運命だと、私は感ずる。
    そして、再婚。大学教授としてのフランス文学の研究。
    「クイズダービー」のあの満面の笑顔には、そんな深い深い哀しみがあったのだ。

    そして、晩年は、ASLの難病だった。
    それをも、彼は、受け入れた。肯いた。だから、書いた。
    彼が、そうして「生きて来て」分かったことを、言葉に語らせるために。
    そして、その言葉を、私たちに遺しておくために。
    たどだとしい指遣いで、パソコンに向かい、一字一字したためた。

    メメント・モリだ。
    だから、私は、生きられるのかも。
    みんなは、そんな死を忘れて、他人事にして生きているらしい。
    でも、きっと私は、死んでいないから生きているのだと想っている。
    あのICUで一度死んだ。
    だから、篠沢さんの「生きようとする」その前向きな気持ちがよく分かる。

    人は、不自由にならないと分からないことがある。
    人は、病気になり、長期に療養しないと感じられないことがある。
    そのことと、「深く生きること」とは、同時なことだ。
    池田晶子さんは「死は、存在しない」と言っている。
    私も、きっとそうなんだろうなぁと、うすうす気づいて来た。
    この肉体・身体の終わりはあるだろう。
    でも、この私と言う我々は、生まれてもいないのだから、死にはしないんだ。

    平静で、あるがままに、その時間を味わい、楽しんでいる彼の姿に、
    そんな達観を、私は感じた。
    そこに、生きる。
    それが、「生きるとは何か」という問いに対する、応えなんだと私は想う。
    その応えをその人生の生き方そのもので「現す」とき、
    人は、本当に「生きた」と言えるのだと、私は想う。
    だから、私は、その「現れ」としての自分を生きたい。
    そして、ここに、こうして、
    日々の感じをそのままに「言葉」に現し、遺したい。

    新聞配達の次男は、先月22歳になったばかりだ。
    ただ我武者羅に、何も分からないが、突き進むだけ。
    あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、倒れては自信を失い、
    また、立ち上がっては、こっぴどくやっつけられる。
    それでも、立ち上がる。それでも、歩く。
    確信はなくても、不安定であっても、日々を歩くことを続ける。
    新聞を届け続ける。

    私が死んでから、彼が、還暦になる頃、
    この「親父たちよ」を読んで欲しい。

    彼が、各家に新聞を届けるように、
    私は、毎朝ここで、長男と次男とに、読んではもらえるかどうかわからない、
    その「言葉」を書いて、届けているつもりだ。

    篠沢さんは、病床にあって2冊の著書を上梓した。

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