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  • from: クマドンさん

    2017年11月29日 06時10分11秒

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    奇跡に感謝

    身体が、ほとほと疲弊している。
    ああ、疲れているという段階をとっくに超えている。
    何というのだろうか、
    これ以上無理をしたら、大変なことが身体に起こるよという、
    何だか切羽詰まった段階のようだ。

    その身体の声には、ちゃんと呼応するように私は、なれた。
    だから、休養をとることはやぶさかではない。
    声を聴いたら何もしない。
    それは、撤退の勇気だった。
    無理に自分を励まし、鼓舞する暴挙は取らないことにした。
    後、どれだけ生きられるのか。
    多生の中の一生を、大事に生きたいと想っているからだ。

    ああ、そうは言っても、いつかし死ぬな。
    死ぬって、どんなことだろうと、みんなは考え、みんなは想い、
    そして、臨終ではその死に出会い、
    「ああ、そうだったのか」と、死を越えて向こうに逝ったはず。
    その日は、誰でも、いつか、必ずやって来る。
    だから、「今、ここ」をどう「生きるか」なんだな。

    奇跡は、在る。
    ただ、そのここに在る奇跡を、奇跡だと認識すればの話。
    それは、感謝するという生き方でもあると想う。
    「今、ここ」を与えられた恵みとして感謝できるならば、
    こうして、ここで親父たちよを書いている今、そのものが、
    実は、奇跡に他ならないということだ。

    毎朝、目覚めたら、神に感謝する。
    「今朝も目覚めることができました。ありがとうございます」
    「今日も家族でこの朝を迎えることができました。ありがとうございます」だ。
    痛みの無い身体。自由に動く身体。病ではない身体。
    ただ、ただ、感謝だ。
    こうして、指を動かせること、脳の命令が正確に伝達されること。
    やっぱり、感謝だ。

    その感謝の一つ一つが、本当は奇跡の一つ一つなんだな。
    そのようにして、自分の日々の人生をとらえると、
    その奇跡のありがたさと同時に、その意味の深さを理解できるようだ。
    本心から、「生かされている今、ここが、在り難い」と感じられたら、
    それで、やっと幸せとは何だということを、
    本心から感じられるようになると、私は想えるようになった。

    日曜日は、奇跡の連続だった。
    振り返って見たら、ここに呼ばれていたことがよくよく分かった。
    成るべきものしか、この世には成らない。
    そこには、大いなる神の意志が働いている。
    それを、宇宙の法則・意志とでも呼べるのかも知れない。
    「これは、私の想いではなく、そう為さるべき想いであった」という気付き。
    その気付きは、ある意味、畏敬の念を感ずる気付きでもあった。

    奇跡とは、その当たり前の日常に、偉大なる存在の意志・働きを実感することだ。
    「ああ、そうだったのか」と、
    私ではなく、私を超えた何かによって、導かれ、語られ、成るべきものを、
    その時代で選ばれた私が、ただ、そのまま、やっただけのことだった。
    そのことの意味は、こうして15年間も経た後で、
    やっと為した来た私自身が理解できることでもあった。

    私がやったのではない。
    私は、そうせざるを得ない促しを感じたから、
    その促しに従うことが、後悔しない生き方だと感じたから、
    あの日・あの時、みんなに語った。
    そして、5年間をかけて、その言葉をここに具現した。
    それは、私ではなく、みんなの力と働きによってだった。

    さてさて、「春のホタル」の「故郷の歌」は、
    このO小学校の子どもたちと親たちに地域の人たちに歌ってもらいたい歌だった。
    その歌が、アンコールで響いた時、深く深くの感動で涙が溢れた。止まらなかった。
    ああ、この今、ここのために、あの日々はあった。
    その深い意味の気付きと実感こそ、奇跡にほかならなかった。

    「うだつや」さんの、最後に立ち会えた。
    午後9時を迎えると、潔く、きっぱりとその店の歴史は閉じられた。
    きっと、私がその場に立ち会えるように働きかけられた出会いだった。
    そのために、私は、このカウンターに、あの日に座った。
    「麒麟」のお姉さんたちから、この店の閉店を聴いた。
    親父さんと女将さんの人柄と優しさに感じた。
    だから、酒とだしまきたまごが美味かったな。

    そして、店を閉じて、名残惜しく残っていた8名のお客だった。
    その中の一人の中年の女性に驚いた。
    何とO小学校の卒業生だと言う。
    「えっ、ここで、会えるの」の驚きだったな。
    在り得ないでしょうだった。

    閉校記念式典の帰り、ここで閉店するお店に寄った。
    そして、私が取り出したその記念誌に、
    彼女の卒業写真が載っていた。
    「この日、じいちゃんの葬式で、私、欠席だったんだよね」と、
    彼女だけ、集団から離れた、お独り様の写真だった。

    「奇跡」だよね。
    これからも、私は、奇跡が在ると信じて生きる。
    いや、毎日が「奇跡」の連続だと、感謝して生きようと心に決めた。

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